天明3年7月、浅間山が大噴火を起こし、鎌原村は火砕流にのまれて、500人近くの村人が亡くなりました
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36.七月二十二日
2007年12月26日(水) 09:40
36.七月二十二日




 鎌原では新しい村作りのための共同生活が始まっていた。市太とおろく、半兵衛父娘、安治、仙之助の六人で始まった村作りは、次の日には惣八とおまん、丑之助とおしめ、おかよとおそめ、伊八と新五郎とおいちの兄弟、路考こと権右衛門も加わり、噂を聞いて干俣村からも杢兵衛、清之丞の兄の吉右衛門、孫八と富松の兄弟がやって来た。今では二十人の大所帯になっていた。市太が最初に決めたように皆、平等という事を守り、うるさい事を言う者もなく、和気あいあいと朝から晩まで仕事に励んでいた。

 その頃、干俣村の名主、干川小兵衛の屋敷で、鎌原村の名主、儀右衛門の妻だったおさよは縁側に座って、ぼうっと庭の池を眺めていた。

「おさよ」と呼ばれて振り返ると父親の小兵衛が後ろに立っていた。

「いい天気じゃな」

「はい」

「鎌原では大変な事をやってるらしいのう」

「大変な事?」

 おさよが不思議そうに、父親を見ると父親はうなづいて、おさよの隣に座り込んだ。

「さっき聞いて驚いたんじゃが、問屋の伜が中心になって、身分差のない、みんな平等な村を作ると張り切ってるそうじゃ」

「身分差のない平等な村‥‥‥」

「ああ。もっとも村人のほとんどが亡くなってしまったんじゃから、身分だの家柄だのと言ってはおられまいがのう。今朝もここから何人かが鎌原に行ったそうじゃ。おまえはここにいていいのか」

「あたしが行ったって、何もできない」おさよは力なく俯いた。

「亭主が亡くなり、子供も亡くなったので、もう村の事はどうでもいいのか。一人だけ残されたのは、おまえだけではあるまい。おまえにもやるべき事はあるはずじゃ」

「あたしに何をやれって言うの」

「それはおまえが自分で考える事じゃ。ここにいたければいてもいい。だがな、おまえは鎌原村の名主の妻だったんじゃ。村の者たちは皆、その事を知っている。おまえがいつまでも悲しんでいたら、村の者たちも立ち直る事はできんのじゃぞ。よく考えろ」

 父親が去った後もおさよは呆然としていた。家族を失った悲しみから立ち直れないのに、村のために何かをやるなんて不可能だった。これ以上、苦しみたくはなかった。早く、何もかも忘れてしまいたかった。それでも、父親が言った皆が平等な村というのが気になっていた。名主の娘に生まれて、名主のもとに嫁いだおさよに取って、身分差のない村など想像すらできなかった。

 おさよは重い腰を上げると村の者たちが避難している小屋に向かった。何も考える事もなく、ただの気分転換のつもりだった。父親が鎌原村の避難民のために建てた小屋なのに訪れるのは初めてだった。

 避難小屋には四十人近くの村人たちが不自由な生活をしていた。おさよを見ると皆、丁寧にお礼を言って来た。自分は何もしていないのに、お礼を言われるなんて後ろめたかった。具合の悪そうな者も何人かいたが、思っていたほど多くはなく、大部分の者たちは元気になっていた。ゲッソリしていた扇屋の旦那、清之丞もすっかり血色がよくなって、のんきに三味線を弾いていた。

「やあ、名主のおかみさん、大分まいってたようじゃが、元の別嬪(ベッピン)に戻って何よりじゃ。わしもようやく元気になったわい」

「それはよかったですね。旦那さんは村の方には戻らないのですか」

「あんなとこに戻れるか。ワルガキの市太が半兵衛の奴と一緒になって、身分差のねえ村を作るとほざいておる。みんな平等で、土地持ちや山持ちは認めんとほざいておるんじゃ。先祖代々伝わって来た、わしの土地はどうなる。ふざけやがって。おかみさんもそう思うじゃろう。名主さんちも土地持ちじゃった。今更、それを取り上げられてたまるもんか。なア、そうじゃろうが。まったく、ふざけやがって。今、あの村に集まってる奴らは土地なんか持ってねえ奴らばかりさ。市太と半兵衛に躍らされて、村作りなんかやってるが、そのうちに、お上(オカミ)のお役人様がやって来りゃア、そんな事通用せんわ。以前のごとく、わしの土地はわしの物になるじゃろう、ハハハ」

 おさよは清之丞と別れるとそのまま、大笹に向かった。どうして、大笹に向かったのか、自分でもわからなかった。名主の妻としての自覚がそうさせたのかもしれなかった。

 大笹の問屋に顔を出して、鎌原までの道を聞くと、丁度、おみのと藤次が鎌原に運ぶ荷物を馬に積んでいた。人々が何往復もしたので、ようやく、馬も通れるようになっていた。

 おさよはおみのたちと一緒に鎌原に向かった。

「確か、あなたは名主さんのおかみさんではありませんか」とおみのが聞いてきた。

「はい。さよと申します」

「あたしは黒長の娘、みのです」

「まあ、あなたが黒長さんの」とおさよはおみのの姿を見て驚く。

 男のような格好をしていて、どう見ても名主の娘には見えなかった。

「気を付けて下さい。足元が悪いですから」

「ええ、大丈夫よ」

「この辺りは焼け石も冷めて、歩けるようになったんですけど、お山の裾野の方は、まだ燃えているんです」

 おさよはおみのが示す浅間山の山麓を見た。観音堂から大笹に連れて来られた時、半ば、気を失っていて、回りの景色なんて見ていなかった。改めて眺め、被害の大きさに驚くばかりだった。

「煙が上ってるのが見えるでしょ。夜になると火が燃えてるのがよくわかります。お山は相変わらず、唸っていますし‥‥‥あのう、おさよさんも村作りに加わるのですか」

「えっ」とおさよはおみのを見た。そんな事は考えてもいなかった。「いえ。ちょっと様子を見に」

「そうですか。おさよさんが加われば、村の者たちもみんな、従うと思います。家柄のよかった人たちは、どうしても身分差のない村作りに反対してしまいます。村がなくなってしまったのに、昔の事が忘れられないのです」

「市太郎さんが始めたのですか」

「はい。市太郎兄貴と半兵衛さんです」

 半兵衛と聞いて、おさよはドキリとした。世間知らずのおさよでも、馬方の頭である半兵衛の事は知っていた。話をした事もないはずなのに、なぜか、半兵衛という名が心の片隅に引っ掛かっていた。

「兄貴も最初は無理だって諦めていたんです。見た通り、辺り一面、焼け石で埋まってますものね。これを掘り返さなくては村なんてできません。誰だって、そんな事できないって思います。でも、半兵衛さんは毎日、一人で出掛けて行って、焼け石を掘り返していたんです。それを見て、兄貴もやらなきゃならないって思ったみたいです」

「半兵衛さんが一人でやっていたのですか」

「はい。皆を説得して回ってたけど、誰も従わなかったんです。でも、諦めないで、雨の日も一人で出掛けて行って‥‥‥兄貴が動いたら従う者も出て来ました。大笹の問屋には江戸に運ぶ荷物が溜まっています。それを運ぶにはどうしても、鎌原に問屋が必要なのです。兄貴が問屋をやれば、村人たちも馬方稼業ができます。畑がダメでも、馬方ができれば、あの村は立ち直れます」

「そうですか‥‥‥」

 一時(イットキ)余りで観音堂に着いた。八日前、もう二度とここには戻って来ないだろうと去って行ったのに、なぜか、戻って来てしまった。なぜだか、自分でもわからなかった。

 観音堂にお参りして、若衆小屋の方に行くと女たちが昼飯の支度をしていた。小屋の脇には洗濯物が干してあり、潰れていた物置も直っている。女たちは皆、若く、避難小屋にいる者たちに比べて、ずっと明るい顔をして仕事に精出していた。

「あら、名主さんのおかみさんじゃない」とおそめをおぶったおかよが気づいて驚いた。

 女たちが手を止めて、おさよを見て頭を下げる。皆、以外そうな顔付きだった。

「おかみさんも来てくれたの。助かるわ」

「そうじゃないんだけど‥‥‥」

「まあ、お茶でも飲んで休んで下さいな。道が悪いからお疲れでしょ」

 おかよがおさよを縁側に連れて行くと、おろくがすぐにお茶を出した。

 小屋の中を見ると綺麗な筵(ムシロ)が敷き詰められて、部屋の隅には布団が積まれ、役者絵を貼り付けた枕屏風(マクラビョウブ)、燈明台(トウミョウダイ)もいくつもあり、火鉢(ヒバチ)や煙草盆(タバコボン)まで置いてあった。

「みんな、ここで寝泊まりしてるの」とおさよはおかよに聞いた。

「そうなんですよ。でも、だんだんと人が多くなっちゃって。ねえ、おかみさん、干小(ホシコ)の旦那さんに新しい小屋を建ててくれるように言ってくれません」

「それは構わないけど」

「うちの親父にも言っとくわ」と荷物を降ろしたおみのが来て、口を出した。「二十人を越えちゃったもんね。ここじゃア狭いわよ」

「御苦労様」とおろくはおみのにもお茶を差し出す。

「お酒を持って来たわ。みんな、久し振りでしょ」

「ありがとう。みんな、喜ぶわ」おろくはお礼を言った後、「あれ、藤次さんは」とおみのに聞く。

「兄貴たちの方に行ったんじゃない。うちの若え者を連れて来て、手伝わせるかって言ってたから、その事を相談しに行ったのよ」

「荷物を運んでもらうだけで充分ですよ。これ以上、みんなに迷惑をかけちゃア悪いわ」

「そんな事、気にしないで。逆の立場だったら、兄貴は真っ先に飛んで来て助けてくれるわ。困った時はお互い様よ。兄貴と藤次はお互いに男気(オトコギ)を競って来たから、助けたくってしょうがないのよ」

「どうも、すみません」

 フフフとおみのはおろくを見ながら笑った。「もうすっかり、兄貴のおかみさんみたい」

「あら、そんな意味で言ったんじゃ」

「いいのよ。あたしも応援するからね、頑張ってよ」

「ありがとう」

 おさよはおかよとおろくから、ここの生活振りを聞いた。おろくも、おしめも、惣八も、安治も、権右衛門も家族を失って、たった一人になっていた。それでも、ここに来て村作りをやっている。村の事も家族の事も、悲しい事は何もかも忘れて、実家で静かに暮らそうとしていた自分が情けなく思えて来た。亡くなった家族のためにも、この地に戻って来なくてはならないと、おさよは強く感じていた。

 話の後、おさよはおみのの案内で、焼け石を掘り返している男たちの所へ行った。男たちは汗と泥にまみれて用水の溝を掘っていた。おさよが来た事に気づくと皆、手を休めて頭を下げた。

「皆さん、御苦労様です。どうぞ、続けて下さい」

「あの、おかみさんもここに来てくれるんですか」と市太が汗を拭きながら聞いた。

 おさよは皆の顔を見回した。皆、生き生きとした目をしていた。その中に半兵衛の姿もあった。半兵衛は日に焼けた顔で、おさよを見つめていた。

 おさよは突然、鎌原村に嫁いで来た当時の事を鮮明に思い出した。おさよは十六歳で、半兵衛は二十二、三歳だった。半兵衛は花嫁行列を手伝ったり、その後も名主の家に出入りしていた。十二歳も年上の儀右衛門に嫁ぎながらも、おさよは時々、見かける半兵衛に淡い恋心を抱いていた。その後、半兵衛も嫁を貰い、おさよも子育てが忙しく、そんな事はすっかり忘れていた。それが今、十六歳の時に戻ったかのように、半兵衛に見つめられ、胸がときめいていた。おさよは慌てて半兵衛から視線をそらすと、市太を見て、力強くうなづいた。

「わたしにも手伝わせて下さい。あなたたちの村作りを」

「手伝うなんて。おかみさんはいてくれるだけで結構ですよ」

「いいえ。みんな平等なんでしょ。わたしも一緒に働きます」

「おかみさん‥‥‥ほんとにありがてえ。おかみさんが来てくれりゃア、もう百人力だ」

「おだてないで下さい。わたしなんか何もできないのよ」

「いやいや、おかみさんにしかできねえ事があるんだ」

「えっ」と驚くおさよに市太は、新しい村作りに反対している者たちの説得を頼んだ。市太や半兵衛が説得しても反発してうまくは行かない。名主の妻だったおさよから説明すれば、うまく行くような気がした。

「来ない人は来なくてもいいんじゃないの」とおさよは聞いた。

「そうは行かねえんだ。村がある程度、できてから、この土地は俺のだって駄々をこねられると困るんだ。それに、できれば生き残った者はみんな、戻って来てほしい」

「そうね、その方がいいかもしれない」

 おさよは快く引き受けて、おみのと藤次と一緒に大笹に戻って行った。なぜか、その時、手伝ってもらう事があるからと、おろくを連れて行った。
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