天明3年7月、浅間山が大噴火を起こし、鎌原村は火砕流にのまれて、500人近くの村人が亡くなりました
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9.五月二十七日
2007年11月01日(木) 12:45
9.五月二十七日




 そのまま治まるかに見えた浅間の噴火は、次の日の夕方七つ(午後四時)頃、またもや、大音響と共に大揺れした。その時、市太は珍しく、家の仕事を手伝っていた。半兵衛と一緒に明日、運ぶ荷物の荷造りをしていた。

「くそっ、延命寺の御祈祷(ゴキトウ)も効かねえのか」と半兵衛が積んである荷物を押さえながら、浅間山を見上げた。

 昨日の大爆発ほどではないが、煙の量は増えている。

「若旦那が柄にもねえ事をしたから、お山の鬼が騒ぎ出したか」半兵衛は市太を見ながら苦笑した。

「よしてくれよ」

「冗談じゃ。それにしても、昨日のような怪我人が出なけりゃいいがな」

 家の中から兄の庄蔵と叔父の弥左衛門も飛び出して来て、浅間山を見上げた。

「まったく、いつまで続くんだ」

「そいつがわかりゃア世話はねえ」

 大揺れは一度だけだった。地鳴りは続き、灰が降って来た。仕事が終わると市太は手拭いで頬被りして、おろくの家に向かった。父親の見舞いを口実に、おなつにやろうと買って来た江戸土産の銀の簪(カンザシ)をおろくにやろうと、いそいそと出掛けて行った。

 おろくの家の前に来た時、ふと三治の姿が目に入った。村の外れ、おすわが嫁いだ源七の家の前辺りに一人で立っている。気になって側まで行ってみると、何と用水の中に小便をしていた。山から引いた用水は村人にとって井戸水と同じ、そんな所に小便をされたらたまらない。市太は慌てて、三治を捕まえた。

 三治は平気な顔して小便をしている。市太は三治の向きを変えた。長小便を終えると市太を見て、「ハハ、若ランナらア」と指をさした。

 どうやら、市太の事はわかるらしいが、馬のような一物(イチモツ)をふんどしから出したまま、しまおうともしない。

「まったく、世話の焼ける野郎だぜ。おろくも可哀想なこった」

 見ている方が恥ずかしくなるので、三治の着物の裾(スソ)を合わせて、一物を隠す。

「お山の鬼が怒ってなア、鹿の母ちゃんが泣いてらア、ハハハ」

 市太は訳のわからない事を言っている三治を引っ張って、家に連れ帰った。おろくは夕飯の支度をしていた。三治が出歩いていたのを知らなかったらしい。市太が連れて来てくれた事に恐縮して、何度も謝った。

 父親は昨日のように囲炉裏端にはいなかった。部屋の方で寝ているという。甚太夫と松五郎の姿も見えない。市太は父親の具合を聞いてから、江戸土産だとそっけなく言って、おろくに簪を渡すと家を出た。おろくが三治を押さえて、後を追って来た。

「こんな高価な物、あたし、いただけません」

「ただの土産だ。気にすんな」

「でも‥‥‥」

「みんなの世話ばかりしてねえで、たまには自分の事も考(カンゲ)えろよ」

「でも‥‥‥」

 市太はおろくの手から簪を取るとおろくの髪に差してやった。

「似合うぜ」

 おろくは恥ずかしそうに頭を下げた。

「それじゃアな」

 おろくと別れた市太は鉄蔵のいる幸助の家に向かった。昨日、観音堂で別れて以来、ほったらかしだった。もっとも、飽きもせずに絵を描いてばかりいるので世話はないが、連れて来た客人を放ってばかりもいられない。また、浅間山を描きに行って、いないかもしれないと思いながら声を掛けると幸助の妹、おはつが出て来て、鉄蔵はいるという。

 部屋中に紙クズを散らかして、鉄蔵は絵を描いていた。浅間山を描いているのかと覗くと、なんと美人絵を描いている。

「あれ、兄貴、誰です。そいつア村の娘ですか」

「おう、村の娘だ。誰だかわかるかい」

「誰と言われてもなア。難しいや」

「ちょっと待て」と鉄蔵は失敗して丸めた紙切れを拾っては広げて、「違う。あれ、どこに行っちまったんだ」と言いながら、何かを捜している。

「あった。こいつだ」と広げて見せた絵は同じ美人絵だったが背景も描いてあった。

「こいつアお茶屋ですね。お茶屋といやア、わかった。巴屋(トモエヤ)の看板娘のおかよだな」

「おかよってえのか。いい名だ」と鉄蔵は自分で描いた絵を眺めながらうなづく。「昨日も今日も巴屋で昼飯を食ったんだよ」

「そうだったんですかい。まあ、おかよはいい女だ。それにしても、兄貴、どうして、おかよを見ながら描かねえんです」

「まあ、そうしてえんだが、何となく、声を掛けづらくてな」

「兄貴もわりと気が小せえんですね」と市太はニヤニヤする。

「そうじゃねえ。亭主持ちだったら騒ぎになると思っただけだ」

「へえ、前(メエ)に騒ぎになったんですか」

「まあな。調子にのって絵を描いてたらな、亭主が出て来やがって、とんだ目に会った」

「おかよは心配(シンペエ)ねえ。亭主持ちじゃねえですよ。今は男もいねえんじゃねえのかな」

 鉄蔵は嬉しそうに目を輝かせ、「本当かい、そいつは」と確認する。

「ええ、多分。前に栄次ってえ色男といい仲だったが、奴も嫁を貰っちまったからな。栄次と別れてからは噂も聞かねえな」

「へえ。あれだけの器量よしなのに、村の若え者は放っておくのかい」

「別に放っておくわけじゃねえけど、どこか堅えとこがあるのかなア。俺も言い寄った事アあるが簡単に振られちまった」

「へえ、おめえが振られたとはな」

「兄貴、こんなとこでゴチャゴチャ言ってても始まらねえ。さっそく、巴屋に行って一杯やろうぜ」

「おお、そうだな。俺はあまり飲めねえが」

「なアに、兄貴の好きな甘え物もあらアな」

 二人が出て行こうとした時、幸助と弟の竹吉が畑仕事から帰って来た。

「まったく、まいったぜ。そこら中、灰だらけだ」ブツブツ言いながら、手拭いで灰を払っている。

「おい、幸助、これから巴屋で一杯やるんだが、おめえも行かねえか」

「そうか、いいな。先に行っててくれ。着替(キゲ)えて後から行くよ」

「伊之助はどうした。今日は馬方か」

「そうじゃねえ。さっきまで一緒だったんだ。あの野郎、さかりがついた犬みてえに桶屋(オケヤ)に飛んで行きやがった」

「おみよか。仲のいいこったな。じゃア、先に行ってるぜ」

 日が暮れ、辺りはすっかり暗くなっていた。暗い中を灰が雪のようにチラホラ降っている。

 二人は提燈も持たずに諏訪明神の森の前を通り過ぎた。通りの反対側におなつの家が見えた。古着屋から明かりが漏れている。おなつを誘おうかと思ったが、今晩はやめにした。

 諏訪の森を過ぎて三軒目が巴屋。通りを挟んで正面にあるのが市太の家。問屋の前にあるので、馬方たちの溜まり場になっている。他所(ヨソ)の村から来た馬方たちは必ず、巴屋で休んでから帰って行く。馬方の中には気の荒い連中もいるが、おかよは客あしらいがうまく、今まで大した問題も起きてはいなかった。

 二人が暖簾をくぐって店に入ると錦渓と安治が酒を飲んでいた。

「あれ、先生、珍しいとこで会いますね」と市太は気軽に声を掛ける。

「何が珍しい。わしはすぐそこに住んでいる」

 そう言う錦渓の声には刺があった。あまり機嫌がよくないようだ。錦渓はちょっと先にある『江戸屋』の離れを借りている。江戸屋は江戸にいる小松屋の出店のようなものだった。

「いつもは桔梗屋でしょ。姉さんと喧嘩でもしましたか」

「うるさい。たまには河岸(カシ)を変えただけだ」

「ほう、そうですか」

「おまえこそ、どうした。今日はおなつと一緒じゃねえのか」

「たまには男同士で飲むさ」

「昼間、おなつが一人で例の小屋にいたぞ。おゆうが草津に行っちまってから、おめえらもバラバラになっちまったようだな。勘治の奴は急に真面目になって稼業に精出してるし、惣八の奴は丑之助とつるんで何かを企(タクラ)んでるようだ」

「惣八と丑がつるんでる?」

「ああ、さっきまで、そこでコソコソ内緒話をしてたよ」

「へえ。何を企んでんだ、あいつら」

「さあな。どうせ、ろくな事じゃアあるまい」

「いらっしゃい」とおかよが出て来た。

 酒と汁粉を頼むと市太はおかよに鉄蔵を紹介した。

「あら、江戸の絵画きさんだったの。何となく、この辺の人とは違うとは思ってたけど」

「役者絵で有名な勝川春章(シュンショウ)の弟子なんだ。大(テエ)した絵を描くぜ」

「あら、そう。今度、あたしにも見せてよ」

「おめえも描いてもらやアいいじゃねえか」

「やだ。そんな、あたしなんて」

「いや。おめえなら、いい美人絵になるぜ」

「いやねえ、若旦那ったら」

 おかよは市太をぶつ真似をして、奥へと消えた。

「兄貴、まんざらでもねえみてえだぜ」と市太は小声で鉄蔵に言う。

「そうか。客に対する愛想だろ」

「いや、そうじゃねえ。おかよが兄貴を見る目がいつもと違わア」

「おだてるねえ」

 おかよは江戸の話が聞きたいと市太たちの所に座り込んで、一緒に酒を飲んだ。鉄蔵もおかよにお酌され、苦手な酒を少し飲んだ。

 野良着を着替えた幸助が来て、錦渓が帰ると安治も加わった。

「おい、おかよ、いい男はできたのか」と市太は単刀直入に聞いた。

「なに言ってんのよ。あたしが男っ気がないのは知ってるくせに。若旦那がおなつと一緒んとこを見て、いつも羨(ウラヤ)ましいと思ってるのさ」

「へっ、俺を振ったのはどこのどいつだ」

「あん時はさ、傷の痛手が治ってなかったんだよ。今になって、惜しい事をしたと悔やんでるんさ」

「いつの間にか、お世辞もうまくなりやがったな」

「一癖も二癖もある連中を相手にしてるからねえ」

「まあ、この店はおめえで持ってるようなもんだ。男っ気があったら客が来なくなるか」

「そんな事アないけどさ。この仕事好きだからね。今はまだやめたくはないよ」

「江戸の『笠森おせん』じゃねえけど、おめえも美人絵に描かれりゃア有名になるぜ」

「鎌原おかよだな」と幸助が囃(ハヤ)す。

 その夜、おかよは上機嫌だった。暖簾をしまった後も市太たちと付き合い、遅くまで飲んでいた。市太も知らなかったが、おかよは酒が強かった。いくら飲んでも平気な顔して笑っている。これだけ強かったら、男が口説こうと思っても、先に酔い潰れてしまうだろう。

 酒が飲めない鉄蔵は漬物を突っ突きながら、おかよに江戸の話を面白おかしく聞かせていた。おかよは目を輝かせて聞いている。幸助と安治も興味深そうに聞いていた。
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