天明3年7月、浅間山が大噴火を起こし、鎌原村は火砕流にのまれて、500人近くの村人が亡くなりました
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7.五月二十五日
2007年10月28日(日) 12:59
7.五月二十五日




 市太と勘治が吉原で、いい気になって遊んでいる時、郷里鎌原村では大騒ぎが起きていた。浅間山がまた噴火したのだった。

 二人が旅立って三日目の十五日の昼過ぎ、なりをひそめていた浅間山がゴロゴロと唸り出し、黒い煙を吹き上げ、鎌原村は大揺れした。畑に出ていた村人たちは立っている事もできず、地にひれ伏しながら不安そうに浅間山を見上げた。

 市太がいないので、家を出る事を許された惣八は安治と一緒に観音堂裏の若衆(ワケーシ)小屋で、いつものようにブラブラ。突然の揺れに驚いて、慌てて小屋から飛び出し浅間山を眺めた。

 おなつとおなべは『鶴屋』から『扇屋』に移った雪之助の部屋で、義太夫の稽古をしていた。三味線を抱え、二階の部屋から転がるように階段を降りて外に飛び出した。浅間焼けを初めて目にする雪之助は青ざめ、恐ろしさに身を震わせた。

 その日の揺れは四半時(シハントキ、三十分)程で治まり、灰が降って来る事もなかった。いつもの事だと皆、一安心して仕事に戻ったが、翌日は一時(イットキ、二時間)近くも揺れが続いた。雪之助はもう村を出て行くと言い出し、おなつたちはもう少しいてくれと必死で引き留めた。

 市太の祖父、市左衛門はやはり、山守(ヤマモリ)の隠居、長兵衛の言った事は正しかったのかと見直し、改めて、家代々残されている浅間焼けに関する文献を漁っていた。

 その時は二日だけで何とか静まり、一日様子を見て、次の日から田植えが始まった。田植えが始まれば、娘たちものんきに義太夫をやってはいられない。おなつやおなべも朝早くから田圃(タンボ)に出て働いた。男たちも馬方稼業が忙しかった。

 参勤交代で六月から信州須坂のお殿様の江戸詰めが始まるため、須坂藩の飯米(ハンマイ)が大笹から次々に送られて来た。男衆(オトコシ)は米を積んだ馬を引いて狩宿まで何往復もした。

 村中が大忙しのそんな頃、おゆうが斜(ハス)向かいに住む、おしまという娘と一緒に草津へと働きに出た。勘治は家柄など関係ないと言ったが、姉と同じように、おゆうは勘治の事を諦めて、家のために働きに出たのだった。浅間焼けを恐れた雪之助もおなつたちが止めるのも聞かず、一緒に草津に行ってしまった。

 須坂藩の荷物も運び終わり、田植えも一段落した次の日、二十五日の朝、浅間山が再び、ゴロゴロ言い出した。その日は朝から雨降りで、浅間山の灰が混じって黒い雨が降って来た。揺れはそれ程ひどくはないが、地鳴りはいつまでも続いた。村人たちは皆、仕事を休み、家に籠もってお山が静まるのを祈った。 昼近く、雨も小降りとなり、家で退屈していたおなつはおなべを誘って観音堂に登り、若衆小屋に顔を出した。例のごとく、惣八と安治がいた。芝居で惣八と一緒に駕籠(カゴ)かきを演じる丑之助(ウシノスケ)もいて、何やら、ヒソヒソと相談している。丑之助は山守の隠居、長兵衛の孫だった。

「ねえ、何の悪巧みをしてるのよ」とおなつが覗き込む。

「何だ、おめえらか、脅かすねえ」

「真剣な顔して何やってんの。あんたたちがそういう顔してる時はどうせ、ろくでもない事考えてるんでしょ」

「そうじゃねえ。ただ、こいつの相談に乗ってただけだ」惣八は丑之助を顎(アゴ)で示す。

「また誰かに振られたのかい」とおなつとおなべは顔を見合わせて笑う。

 名前の通り、丑のように体格だけは立派だが、ノロノロしていて顔付きも間が抜けている。およそ、女にもてる男ではない。

「この前(メエ)、馬方やって怪我した時、親切に傷の手当をしてくれた女がいてな、そいつの事が忘れられねんだとよ」

「物好きもいるもんだね。早く、口説いた方がいいよ。相手の気が変わらないうちにね」

「ところがよう、そいつが嫁入り前(メエ)の娘なら何の問題(モンデエ)もねえんだが、他人(ヒト)の嚊(カカア)なんだよ」

「何だって。他人の嚊? まったく、何を考えてんだい。一体、誰なのさ」

「それがな、彦七の嚊、おしめさ」

 おしめの名を聞いた途端、おなつとおなべは腹を抱えて大笑い。おしめは丑之助や惣八より一つ年上で、嫁入り前は男たちに騒がれた器量よし。今はもう二歳の息子の母親になっているが美しさは衰えていない。そのおしめが丑之助など相手にするはずがない。丑之助の独りよがりの思い込みに違いなかった。

「馬鹿じゃないの、まったく。おしめさんがおまえなんか相手にしやしないさ」

「そうとも言えねえぜ」と安治が言う。「彦七だってウジウジした野郎だ。まったく、おしめは彦七なんかにゃア勿体(モッテエ)ねえよ」

「そうね」とおなべがうなづく。「彦七さんはおっ母さんの言いなりみたいだし、従弟(イトコ)の小七さんのおかみさんのおくにさんとも仲がよくないみたいね」

「そういやア、田植えん時、おしめとおくにが大喧嘩してたっけな」

「そうなのよ。おっ母さんがおくにさんの味方をしてて、おしめさん可哀想だった」

「ほんとなのか。おしめさん、いじめられてんのか」と丑之助がのんびりした口調で聞く。

「あの調子じゃア、うちん中でも、いじめられてるかもね」

「そんなの、俺ア許さねえ」真面目な顔して丑之助が言うと、おなつとおなべはまた大笑いする。

「あんたが許すまいとそんなの関係ないのよ」

「こいつはな、ガキの頃からずっと、おしめに惚れてたんだとよ。まったく恐れ入るぜ」

 丑之助は照れ臭そうに頭を掻く。

「それならいっその事、おしめさんと子供を連れてさ、駈け落ちでもしたら。村中がみんな、おったまげるわよ。お山焼けなんかよりもっとね」

「駈け落ちなんて、そんな‥‥‥」

「けしかけるなよ。こいつア本気なんだ。思い詰めたら、ほんとにやりかねねえ」

「大丈夫よ。丑が本気だって、おしめさんが相手にするわけないじゃない」

「まあ、そりゃそうだが。おい、丑、他人の嚊なんか諦めてよう、嫁入り前の娘に惚れろよ」

「そうよ。若くて綺麗なのが一杯いるでしょ」

「そうだけどよ。俺なんか誰も相手にしてくんねえもんな」

「それがダメなのよ。やる前に諦めちゃ何もできないでしょ」

「そうさ、丑、当たって砕けろだぜ」と安治がもっともらしく言うと、

「そういう安はどうなのさ。当たって砕けたのかい」とおなつに言われる。

「俺は‥‥‥」と安治は口ごもる。

「おさやに惚れてんだろ。兄貴が留守のうちにものにしてやるって息巻いてたじゃないか。もうすぐ、市太は帰って来るよ」

「わかってるさ。でも、なかなか、うまく行かねえんだ。馬方が忙しかったし」

「馬方なんて昼間だけだろ。やる気になりゃア、いくらでもやれたよ」

「でもよう、おさやはいつも隣のおみやと一緒なんだ。何となく、声が掛けづらくってな」

「おさやにおみやか、二人ともお嬢ちゃんだからね、あんたなんか相手にしないかもね」

「うるせえ」

「いつだったか、おゆうから聞いたんだけどね」とおなべが思い出したかのように言う。「おゆうんちの隣の仙之助がおみやに惚れてるみたいよ。あんたと同じで声掛けられないみたいだけどさ」

「仙之助がか」と丑之助が首を傾げる。

 仙之助の家は丑之助の家の隣でもあった。表通りの東側、一番南におしめが嫁いだ彦七の家があり、次が若衆頭(ワケーシガシラ)の杢兵衛(モクベエ)の家、次がおゆうの家、次が仙之助、次が山守を務める丑之助の家だった。そして、丑之助の家の向かいがおみやの家、酒屋の『枡屋(マスヤ)』で、十王堂への細い道を隔てた隣がおさやの家、問屋の『橘屋』だった。ちなみに、惣八の家は彦七の家の斜向かいにあり、安治の家は少し離れて、茶屋の『桔梗屋』よりさらに北、延命寺の近くにあった。

「仙之助がおみよに気があんのか‥‥‥」

「二人してお嬢ちゃんたちを口説けば」

「うん、そいつはいいかもしれねえ」と安治はうなづくと空を見上げた。「もう、雨はやんだようだな」

「お山はまだ鳴いてるけどね」

「よし、仙之助に会って来るか」

 安治はニヤニヤしながら出て行った。

「ねえ、うまく行くと思う」とおなべが惣八に聞く。

「まあ、無理だんべえな」と惣八が言うと、「難しいだんべ」と丑之助までが真面目な顔で言う。

 みんなで大笑いしていると安治が戻って来た。

「何でえ、忘れ物か」と惣八が言う間もなく、「おい、おゆうはどこ行っちまったんでえ」と勘治が血相を変えて怒鳴り込んで来た。

「あら、帰ったの。お帰り」とおなつは市太を捜しに行く。

 勘治は旅支度のまま、惣八とおなべに詰め寄って、おゆうの行方を聞いている。市太と鉄蔵も石段を登ってやって来た。

「お帰り」とおなつが市太に飛びつく。

「おい、お山がまた焼けたのか」

「そうなのよ。大変だったんだから」

「田圃が灰で真っ白になってたぜ」

「そうさ。田植えしたばかりだってえのに、たまんないよ。それより、江戸はどうだったの。お芝居見て来たんでしょ」

「おう、土産があるんだ」と市太は若衆小屋に上がり込んで荷物を広げる。

 勘治はおなべの話を聞きながら馬鹿野郎を連発し、おなつは土産の役者絵を広げてキャーキャー騒ぐ。そんな事はお構いなしに、鉄蔵はさっそく、煙を上げている浅間山を絵に描き始めた。

「馬鹿野郎」と勘治は叫ぶと、そのまま、石段を駈け降りて行った。
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