天明3年7月、浅間山が大噴火を起こし、鎌原村は火砕流にのまれて、500人近くの村人が亡くなりました
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4.四月十六日
2007年10月22日(月) 13:04
4.四月十六日




 四月も半ばになるというのに、いつまでも寒い。今朝はまた格別で、大霜(オオジモ)が降って農作物は全滅となってしまった。朝早くから村人たちは畑に出て大騒ぎ。他の村とは違って、馬方稼ぎがあるとはいえ、やはり、農作業が中心だった。村人たちは頭を抱え、村役人を中心に今後の対策を練っている。

 村中が大騒ぎしているというのに、そんな事、どこ吹く風かと例のごとく、暇を持て余しているのは市太、勘治、惣八の三人。観音堂裏の若衆(ワケーシ)小屋で芝居の稽古とは名ばかりでゴロゴロしている。おなつたちは雪之助の所に通って、朝から晩まで三味線を弾いて唸(ウナ)っている。お染久松(ソメヒサマツ)、おさん茂兵衛(モベエ)、梅川忠兵衛(チュウベエ)と心中物に、もう夢中。市太たちが遊びに誘っても見向きもしない。

「こいつアたまらねえや」

 寝そべって本を読んでいた惣八が腹を抱えてゲラゲラ笑う。

「そんなにも面白えのか」と勘治が本を覗く。

 一見しただけだとただの浄瑠璃(ジョウルリ)本、ところが内容は大声では読めない春本(シュンポン)だった。作者は平賀源内、弟子の錦渓(キンケイ)からの借り物で『長枕褥合戦(ナガマクラシトネガッセン)』という。

「面白えも何もねえ。こいつアすげえよ。人形芝居(シベエ)にすりゃア、もう大うけ間違えねえ」

「どれ、俺にも読ませろ」

「待て待て、もう少しだ」と惣八は一人笑いながら、本を持って逃げて行く。

「へっ、勝手にしろい」と勘治はつまらなそうに煙草(タバコ)をふかしている市太の側に行く。

「なあ、市太、やっぱり、博奕(バクチ)をやろうぜ。まったく、退屈でしょうがねえ」

「ダメだ。今まで何のために我慢して来たんだ。今さら、博奕なんかやれるか」

「チェッ、つまんねえ」

「おめえだって、いい役を貰ったじゃねえか」

「そりゃそうだけどよ、隣村辺りでやりゃア、わかりゃアしねえだんべ」

「そうはいかねえ。博奕を打つんは馬方連中だ。噂はすぐに広まっちまう」

「そうか。それじゃア大笹にでも行くべえ。今日は市日(イチビ)だぜ。久し振りに行ってみねえか」

「大笹か‥‥‥」と言ったきり、市太は乗って来ない。

「黒長(クロチョウ)んちに行って、うめえ酒でも御馳走になろうぜ。おみのちゃんの酌(シャク)でよう。まだ、おみのちゃんは嫁に行ってねえんだんべ」

 黒長というのは大笹宿の黒岩長左衛門の事で、この辺りでは有名な金持ち。名主(ナヌシ)を務め、問屋をやりながら酒造りもやっている。市太の母親が長左衛門の妹なので、市太も子供の頃から出入りしている。おみのはその娘で十九の器量よしだが、男まさりが玉に傷。花嫁修業どころか男たちに混じって、平気な顔して馬方をやっているジャジャ馬だった。長左衛門の悩みの種で、おみのの嫁の貰い手は当分、見つかりそうもない。

「行けるわけがねえや。年中、真っ黒んなって馬糞臭(バフンクセ)え女を誰が貰う」

「あれだけフリがいいのに勿体(モッテエ)ねえなア」

「何なら、おめえ、嫁に貰うか」

「いや、結構だ。俺ア遠慮しとくよ」

「たまには面を見てえが、大笹に行きゃア、藤次の奴が待ち構えていやがるぜ」

「くそっ、市日となりゃア、野郎も仲間を連れてウロウロしてるに違えねえ。三人だけで乗り込むんはうまくねえな」

 藤次というのは大笹の暴れ者、以前から市太たちとは仲が悪い。顔を合わせれば必ず、言い争いが始まる。それでも、市太は黒長の親戚筋なので、藤次もなかなか手が出せない。ところが、去年の夏祭り、市太らが大笹の若衆(ワケーシ)組に無断で、大笹の娘に夜這(ヨバ)いをかけた。それが藤次にばれ、大喧嘩となった。袋だたきにされる所を黒長の伜、新太郎(おみのの兄)の仲裁で詫びを入れ、事なきに済んだが、藤次は未だに根に持っている。今度、大笹に顔を出したら、半殺しにしてやると息巻いているので、市太たちもそれ以来、大笹には近づいていない。

「このままじゃア、祭りにも行けねえぞ。今年は『菅原伝授(スガワラデンジュ)』だんべ。見てえなア」

「奴も芝居(シベエ)に出てりゃア騒ぎも起こすめえ。ただ、終わってからが問題(モンデエ)だな。俺たちが来てると知りゃア捜し回るに違えねえ」

「畜生め、芝居見物もできねえのか」

「六月までにケリをつけなきゃならねえな」

「黒長の筋から、奴を押せえられねえのか」

「表向きは押せえられるさ。しかし、伯父御の力は借りたくねえ。腰抜けだと思われらア」

「なあ、市太、今、気づいたんだけどよ、もしかしたら、藤次の野郎、おみのちゃんに気があるんじゃねえのか」

「藤次がおみのにか‥‥‥そういやア、奴はおみのが出て来ると急におとなしくなるな。こいつア面白え。奴がおみのに気があるとすりゃア、奴の弱みを握れるかもしれねえ」

「おみのちゃんを利用すんのか」

「ああ、ちょっと待てよ」と市太は寝そべって考える。

 勘治は芝居の台本を手に取って眺める。勘治の役は渡海屋(トカイヤ)の下女おとく、実は安徳(アントク)天皇に仕える官女(カンジョ)。大した役ではないが、ちゃんと台詞(セリフ)もある。選ばれた時は、何で俺が女形(オンナガタ)をやらなきゃならねえんだと反発したが、来年こそはいい役をつかもうと、今ではしっかりやる気になっている。勘治が台詞を口の中でモゴモゴ言っていると惣八が、「こいつア傑作だ。面白かったぜ」と源内の本を勘治に渡した。

「どれどれ」と勘治は台本を捨て、目を輝かせて春本を読み始める。

「おい、市太、おめえんちの爺さんが、山守(ヤマモリ)んちの爺さんと一緒に来たぜ」

 縁側から観音堂を眺めながら惣八が言う。

「爺ちゃんが来た?」と市太は起き上がる。

 二人の年寄りが杖(ツエ)を突きながら浅間山を眺めていた。

「七十過ぎの爺様が達者なこった」と惣八は煙草盆(タバコボン)を引き寄せて煙管(キセル)をくわえる。

 市太の祖父、市左衛門は村一番の物知りで、鶴のような細い体に仙人のような白い髭(ヒゲ)を伸ばしている。十年も前に隠居(インキョ)して、気楽に俳諧(ハイカイ)や和歌をひねったり、義太夫を唸ったり、村の娘たちに読み書きを教えたりと忙しい。若い頃は随分と遊んだという。村で最初に義太夫を唸ったのも市左衛門だし、村芝居をやろうと言い出したのも市左衛門。若衆頭になった時には、今も使っている芝居用の舞台も作ってしまった。その時に演じた助六(スケロク)は、今でも村の語り草になっている。昔から新しい物好きで、珍しい物には何でも飛びつく。堅苦しい考えの大人たちの中で、市左衛門だけは若者の考えに共感する。若者たちにとって物わかりのいい長老だった。

 もう一人の爺様は小柄だが、がっしりとした体格の坊主頭。今は隠居しているが、長年、山守を務めて年がら年中、山の中を歩き回っていた山男、長兵衛。

 山守というのは正式には御山守番役(オヤマモリバンヤク)という。浅間山北麓一帯は俗に南木山(ナギヤマ)と呼ばれ、幕府の御留山(オトメヤマ)だった。山の御用林を管理するために大笹の黒岩長左衛門が代々、御山見役(オヤマミヤク)を務めている。御山見役の下に御山守番役がいて、番役は南木山の入会権(イリアイケン)を持っている鎌原、大笹、芦生田(アシウダ)、大前、狩宿(カリヤド)、小宿(コヤド)の六村から各一人づつ選ばれて、山の監視を行なっていた。鎌原村では長兵衛の家が代々、番役を務め、村の中では一番、浅間山に詳しかった。

「爺ちゃん、そんなとこで何してんだい」

 市太が声をかけると市左衛門は振り返り、「おう、芝居の稽古か。結構、結構。うまく行ってるか」と笑いながら近づいて来る。

「まあまあだよ。それより、爺ちゃん、何やってんだい」

「いや、なに、ちょっと、あの頑固爺(ガンコジジ)いとお山の事で言い争いになってな」

「市左(イチザ)、ほれ、見てみい。あの煙じゃ。あの煙が危ねえんじゃよ」と長兵衛が煙を指さす。

「どの煙じゃ。いつもと変わらんじゃねえか」

「だから素人(シロウト)は困るっちゅうんだ」

「煙がどうしたんだ」と市太が二人の年寄りを見比べる。

「山守の頑固爺いが、お山が危ねえって言うんじゃよ。もう一度、でっけえ浅間焼けがあるって聞かねえんじゃ」

「若旦那もよく聞いてくんな。わしゃア、お山の事は隅から隅まで知ってる。この間の焼け方はな、三十年前のに似てるんじゃ。宝暦(ホウレキ)四年(一七五四)の六月にお山が焼け、軽井沢方面にかなりの灰が積もったんじゃ。そして、七月の大焼けの時は灰だけじゃなく、焼け石も吹っ飛んで来た。鎌原にも飛んで来たんじゃ。山根(山麓)の樹木も焼けてなア、森から獣(ケモノ)が逃げて来て、大騒ぎになったんじゃ。それだけじゃア治まらねえ。その年は秋が過ぎるまで、何度も何度も焼けたんじゃ」

「するともう一回(ケエ)、でっけえ大焼けがあるってえのかい」市太は長兵衛の皺(シワ)だらけの顔を見つめてから、浅間山の煙に目を移した。

「そうさ。気をつけなくちゃアならねえ。お山を甘く見るととんだ目に会う。そん時、お山が静かになった後、わしはお山に登ってみた。てっぺんまで行って来たんじゃ。まったく、ひでえもんじゃった。森が焼けて、真っ黒になった大木がゴロゴロしてやがった。あちこちに、お山から飛んで来たゴツゴツしたでっけえ岩は転がってるし、やっとの事で、お山のてっぺんまで行ってみたら、また、ぶったまげた。竈(カマド、噴火口)が割れて、そこから黒えゴツゴツした岩が流れ出たような格好で固まっていやがった。そして、無門(ムモン)ケ谷に新しい竈ができてやがったんじゃ。この前のお山焼けは、その竈が焼けたに違えねえ。きっと、もっとでっけえのが来るに違えねえ」

「この間はたまげたが、あれからもう七日が過ぎた。お山の煙も落ち着き、もう大丈夫じゃとわしは言うんじゃがな、こいつは一向に聞かんのじゃ」

「うんにゃア、危ねえ、危ねえ」

「山守の爺さん、おめえはお山の事は何もかも知ってるかもしれねえがよう、ただの取り越し苦労だ。お山は大丈夫さ」

 惣八がヘラヘラ笑いながら言うと長兵衛は厳しい顔付きで、「おめえら若造に何がわかる」と本気になって怒りだす。

「いいか、よく聞け」

 長兵衛は若衆小屋の縁側に腰掛け、市太、惣八、勘治の三人をちゃんと座らせ、六十年も前の浅間焼けから延々と、あん時はこうだった、そん時はこうだったと語り始めた。

 長兵衛は熱を込めて話すのだが、この時、長兵衛の話を信じた者はいなかった。
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