天明3年7月、浅間山が大噴火を起こし、鎌原村は火砕流にのまれて、500人近くの村人が亡くなりました
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35.七月十九日
2007年12月24日(月) 11:29
35.七月十九日




 半兵衛は毎日、鎌原村に通っていた。山守の八蔵を連れて来た次の日も、一日中、雨が降っていた昨日も、半兵衛は一人で出掛けて、村の再建の事を考えていた。夕方、大笹に戻って来ると、あそこに新しい村を作ろうと毎晩、市太を説得した。

 土砂の上を覆(オオ)っている焼け石の厚さは一尺(約30センチ)程度だから、掘り返せば畑もできるだろう。古井戸も掘り返してみたら、あふれる程の水が出て来た。以前のように表通りの中央に用水を引けば村は復活する。半兵衛は強い口調で言うが、市太は乗り気ではなかった。村一面を覆っている焼け石をどけるだけでも容易な事ではない。村の者が総出でやっても、いつまで掛かるか見当もつかない。用水だの表通りだのというのは、その後の話だった。

 市太だけでなく、村の者たち、みんなに説得して回ったが、半兵衛の言う事にうなづく者はいなかった。それでもくじけず、半兵衛は今日も一人で出掛けて行った。

 雨もやんで、いい天気だった。長左衛門の炊き出しはまだ続いている。大前村や西窪村の被災者たちのほとんどは自分の村に帰って、それぞれ小屋掛けして新しい生活を始めていた。大前村も西窪村も家屋はすべて、土砂に埋まるか流されていた。それでも、生存者が多く、田畑もいくらか残っていたので、皆、自分の村に帰っている。今、炊き出しの世話になっているのは鎌原の被災者と怪我をして動けない者たちだった。

「おはよう。今日はいいお天気よ」とおろくが市太の側にやって来た。おろくは毎日、炊き出しを手伝っていた。

「半兵衛さん、今日も一人で出掛けたわ」

「そうか」と市太は気のない返事をする。

「たった一人だけでも、焼け石をどけるんですって」

「そんなの無理だよ。できっこねえさ」

「ねえ。あなたは前にあたしに言ったわ。無理だって最初から諦めるなって。無理かどうかやってみなけりゃわからないって」

 市太はおろくの顔を見つめた。おろくは何かを訴えるように市太をじっと見つめている。

「おめえ、俺に行けって言いてえのか」

「あの村は馬方で持ってた村でしょ。問屋がなければ、村の人たちも安心して戻れないわ」

「俺に問屋をやれってえのか」

「あなたしかいないじゃない。あなたがやればみんなついて来るわ」

 市太はおろくから目をそらして、煙を上げている浅間山を見た。

 おろくの言う通り、問屋をやるのは市太しかいなかった。叔父の弥左衛門も生き残ったが、多くの馬方たちを死なせたのは自分のせいだと落ち込んでいる。三人の子供も失って、立ち直るのは難しい。

 市太はおろくに視線を戻すと、「おめえの気持ちはどうなんでえ」と聞いた。「おめえも村に戻りてえのか」

 おろくは力強くうなづいた。

「半兵衛さんと同じように、あたしにもあの村しかないもん。家族が埋まってるあの土地を放っておいて、他所の土地で暮らすなんて考えられない。他所の土地で幸せに暮らしたとしても、きっと、後悔すると思う」

「畜生め!」と市太は大声で怒鳴った。「結局はあそこに戻るしかねえのかよお」

「行くの」とおろくは期待を込めて聞く。

 市太は仕方ねえという顔付きでうなづいた。「まずは腹拵(ハラゴシレ)えだ」

 雑炊(オジヤ)を食べると市太とおろくは半兵衛の後を追って鎌原村に向かった。

「この道も馬が通れるようにしなきゃアならねえな。大笹から鎌原まで二里、鎌原から狩宿までも二里、それに、六里ケ原を通って追分や沓掛(クツカケ)までも掘り返さなけりゃならねえ。まったく、気の遠くなるような話だぜ」

「でも、誰かがやらなきゃア。みんなで力を合わせれば、できない事はないのよ」

「おめえ、やけに強気になったじゃねえか」

「市太さんが教えてくれたんじゃない。家柄が違う者同士が一緒になるなんて、できっこないって諦めてたのに、市太さんは絶対にできるって、決して諦めなかった。諦めない限り、必ず、できるんだって、あたし、市太さんから教わったのよ」

「なに言ってんでえ。俺ア他人(ヒト)様に教えるような柄(ガラ)じゃねえ。でもよう、これから作る新しい村に下らねえ掟(オキテ)なんかいらねえな。身分差なんかねえ平等な村を作ろうぜ」

「でも、そんな事できるかしら」とおろくは少し弱気になる。

「できるかしらじゃねえ。作るんだよ、俺たちで」と市太は言った。

 ようやく、いつもの市太に戻ったようだと、おろくは嬉しそうに笑う。

「鎌原様が持ってたっていう人別帳とやらも埋まっちまった。家柄なんかわかりゃアしねえ。新しい村にそんな物はいらねえんだ。よーし、こいつア面白くなってきやがった。やる気が出て来たぜ」

「そんな村ができたら、ほんと、素敵ね」

「ああ、やりてえ事ア何でもできるぜ。早え者勝ちだ。旅籠屋をやりてえ奴は旅籠屋をやりゃアいい。お茶屋がやりたかったらやりゃアいい。土地持ちも山持ちもそんな者はいねえ。みんな、平等に一から始めるんだ。畑が欲しけりゃ、焼け石をどけて畑にすりゃアいい。切り取り御免てえ奴だ」

 市太は久し振りに浮かれていた。何だか知らないが、体中から力が湧き出て来るようだった。市太はおろくを抱き上げるとグルグルと振り回した。おろくはキャーキャー言いながら、市太に抱き着いていた。

「おろく、俺ア今までずっと、自分が何をやりてえのか、わからなかった。やりてえ事が見つからねえんで、江戸に行くなんて言ってたんだ。でも、今、やっと、やりてえ事が、いや、やるべき事が見つかった。命懸けでやるべき事が見つかったんだ」

「なアに、命懸けでやるべき事って」

「村作りさ。新しい村作りだ。この果てしもねえ焼け石を掘り起こして道を作り、村を作るんだ。一生を懸けても終わらねえかもしれねえが、一生を懸ける値打ちはあるぜ。おめえも手伝ってくれるな」

 おろくは市太に抱かれたまま、うなづいた。「あたしも懸けます。市太さんにあたしの一生を」

「おめえならわかってくれると思ってた。畜生め、やっと俺の出番が来やがった」

 半兵衛はたった一人で焼け石を掘り起こしていた。市太とおろくを見ると、

「若旦那、きっと来てくれると思ってたぜ」と汗を拭きながら、嬉しそうに笑った。

 市太は来る途中で考えた、新しい村の構想を半兵衛に話した。

「身分差のねえ平等な村か。うむ、そいつアいい思いつきじゃ。だが、反対する者もいるじゃろうのう」

「真っ先に反対しそうなのは扇屋の旦那だんべ。土地も山も持ってたからな。納得させるなア容易じゃねえが、やれねえ事アねえ。決して諦めなけりゃア何とかなる」

「そうじゃな。こうやって少しづつ掘り返して行くだけじゃ」

「半兵衛、ところで、この縄(ナワ)は何なんだ」

 半兵衛は縄を一直線に張って、それに沿って焼け石を掘り返していた。

「こいつは用水じゃ。まず、用水を掘って、その両脇に以前のように表通りを作る。そして、通りに面して、うちを建てるんじゃ」

「成程。用水を作るのはわかったが、こんなとこから掘るより、上流から掘った方がいいんじゃねえのか」

「わしもそう思って、上流の方からやり始めたんじゃがな、昨日、古井戸んとこを掘っちまったんで、びしょびしょに濡れちまうんじゃ。半ば、涸れてたんに、あんなにも水が出て来るたア思ってもいなかった。用水ができてから古井戸を掘りゃアよかったと後悔してんじゃよ」

 半兵衛に連れられて古井戸の所まで行くと、水が驚く程、湧き出ていて焼け石の中に染み込んでいた。

「こいつアすげえ。しかし、勿体(モッテエ)ねえなア」

「ああ、失敗(シッペエ)した」

「ねえ、これだけ水があれば、もう、ここに住めるんじゃないの」とおろくが言う。

「住むって、また、あの小屋に住むのか」

「いちいち、大笹から通うよりはいいでしょ。あっちにいてもやる事はないんだし」

「そうだ。おろくの言う通りじゃよ。道が悪(ワリ)いんで夜は歩けねえ。日が暮れる前(メエ)に向こうに着くように帰(ケエ)らなけりゃアなんねえ。ここにいりゃア、夜明けから日暮れまで、びっしりと仕事に掛かれる」

「そうか、そうだな」と市太も同意する。「大笹から食料を持って来りゃア、ここでも暮らせる。いつまでも、伯父御の世話になってるわけにもいかねえ。よし、明日、食料を運ぶべえ。明かりや布団もあった方がいいな」

「いや、そんな贅沢(ゼエタク)はできめえ。まだ馬は通れねえんだからな」

「伯父御に頼むさ。いや、藤次に頼んべえ。奴なら人足を出してくれるだんべ」

「藤次ってえのは、あの藤次か」と半兵衛が不思議そうに聞く。

「そうさ。さんざ、喧嘩したあの藤次さ。半兵衛に仲裁してもらった事もあったっけな」

「ああ、あん時はまったく、ひでえ目に会った。しかし、あの藤次に頼むたアどうなってんでえ」

「まあな。この前(メエ)、仲直りをしたんさ」

「ほう、そうじゃったんか。確かに、奴に頼みゃア、布団だんべが、竈(ヘッツイ)だんべが、何でも運んでくれるだんべ」

「今晩、帰(ケエ)ったら、みんなに声掛けべえ。惣八と安は来るだんべ。おかよとおゆうも来るかもしれねえ」

「みんなで一緒に暮らすなんて楽しそうね。あたし、あの小屋のお掃除をしてるわ。住むとなれば綺麗にしなくちゃ」

 おろくは観音堂の方に戻って行った。

「働き者(モン)じゃな」とおろくの後ろ姿を見ながら半兵衛が言った。

「ああ、朝から晩まで動いてねえと気が済まねえらしい」

「働き者なんは前(メエ)から知ってたが、おろくは若旦那と仲よくなってから変わったよ。明るくなったし、強え女になった。若旦那、嚊天下(カカアデンカ)になるぜ」

「半兵衛だって、嚊天下だったんべえ」

「ああ、嚊天下じゃった‥‥‥わしはな、かみさんを草津に連れてってやる事もできなかったんじゃよ。若旦那はおろくを連れてったんだってな」

「どうして、それを知ってんだ」

「桐屋の蔵に避難した時、おろくの姉ちゃんから聞いたんじゃ。毎日、毎日、忙しいって、かみさんにいい思いもさせてやれなかった。それだけが悔やまれてなア。今頃、言っても遅えやなア。さてと仕事に掛かるか」

 半兵衛と市太は八つ半(午後三時)頃まで焼け石と格闘して汗を流し、おろくが綺麗に掃除した小屋で一休みしてから大笹に帰った。
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