天明3年7月、浅間山が大噴火を起こし、鎌原村は火砕流にのまれて、500人近くの村人が亡くなりました
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34.七月十六日
2007年12月22日(土) 12:50
34.七月十六日




 浅間山は相変わらず、黒煙を吹き上げながら唸っていた。それでも、以前に比べれば、煙の量は半分程に減っている。このまま、静まってくれと祈るばかりだった。

 市太とおろく、半兵衛、おゆうの四人は焼け石の上を歩いていた。おみのたちが二往復したので、すでに足跡が道になっていて、思っていたよりも歩くのは楽だった。

 昨日のようないい天気ではなく、空は雲が覆っていて蒸し暑い。砂が降って来るのを警戒して菅笠(スゲガサ)を被り、焼け石を警戒して下駄を履いている。半兵衛が先頭を歩き、おゆう、おろく、市太と一列に並んで観音堂を目指した。惣八、安治、丑之助も誘ったが来なかった。あんな所に行っても何もねえ。昨日、狩宿まで行って疲れたから、今日はのんびりしたいと言う。惣八はおまんと、安治はおさやと、丑之助はおしめと、改めて再会を喜びたいのだろうと無理には連れて来なかった。

 観音堂から大笹に行った時、あんなに苦労したのが嘘のように、一時(イットキ)余りで観音堂に着いた。当然の事だが、観音堂の中は永泉坊が祈祷した時のままだった。この狭い中に、二十人もの人が六日間も寝起きしていたとは、とても信じられなかった。裏に回って若衆小屋を見ると無残な姿で建っていた。何度も潰(ツブ)れそうになって、みんなで必死に補強してきたのだった。雨降る中、屋根に積もった砂や石をどけたり、雨漏りの修理をしたのが、遠い昔の事のように思い出された。みんなの命を救ってくれた汚い桶に雨水が溜まったまま置かれてあった。

「ひでえとこにいたもんだ」と半兵衛が感慨(カンガイ)深げに呟(ツブヤ)いた。

「ここに四十人も‥‥‥」とおゆうが驚いた。

「そうさ。俺たちはその土間にギュウギュウ詰めになってたんだ。揺れは来るし、石は降るし、しかも、食う物(モン)はねえ。雨は降り続くし、まったく、生きた心地(ココチ)もしなかったぜ」

「腹を減らしながら、あんた、ここで、ものにした女の数を数えてたんでしょ」

「おめえ、何て事、言うんでえ」

「だって、ここは、あたしたちの逢い引きの場所だったじゃない。あたしと勘治だって、何度もここで‥‥‥」

 おゆうは涙ぐんでいた。

 市太も勘治の事を思い出していた。一緒に悪さをして、一緒に江戸にも行った勘治がいないなんて、信じろと言っても無理だった。

「しかし、この小屋は頑丈じゃったなア。さすが、棟梁(トウリョウ)じゃ。これだけの腕を持ちながら、まったく、残念な事じゃ」

 四人は若衆小屋を離れ、観音堂に両手を合わせると石段を降りた。あれだけあった石段はたったの十三段しかない。そこから広々と焼け石が広がっている。

「何これ、こんなにも埋まっちゃったの‥‥‥」

 村の姿を初めて見るおゆうは呆然と立ち尽くした。勘治がどこかに生きているかもしれないという希望は目の前の景色によって、一瞬のうちに吹き飛んでしまった。

「信じられねえが、これが現実なんだ」と市太がおゆうに言う。

「みんな、埋まっちゃったのよ」とおろくが言った。

「一瞬の内だった。みんな、逃げる暇もなかったに違えねえ。誰も、こんな土砂がお山から攻め寄せて来るなんて思いもしなかった。うちの爺ちゃんだって、山守の隠居だって、こんな事ア初めてだと言っていた。どうする事もできなかったんだ」

 半兵衛が埋まった村に向かって両手を合わせていた。市太もおろくもおゆうも両手を合わせて、亡くなった者たちの冥福(メイフク)を祈った。

 まずは、ずっと続いている足跡に沿って歩いてみた。大きな岩や大木があちこちに埋まっている。表通りがどの辺にあったのかもわからない。

「あれがお諏訪様の屋根じゃな」と半兵衛が指さした。

 神社特有の屋根の上部が焼け石の上に顔を出している。諏訪明神の本殿は小高い丘の上にあったので、すべて埋まらなかったのだろう。

「あそこがお諏訪様なら舞台はあの辺だな」と市太が指をさす。

 落葉松(カラマツ)の枝が顔を出しているだけで、舞台の屋根は見えなかった。市太は足跡のない焼け石の上に一歩踏み出してみた。下駄が焼けた様子はない。手で触って見ても熱くはなかった。

「もう大丈夫みてえだぞ」と市太は半兵衛に言う。

「それでも気をつけた方がいい。中の方は熱(アチ)いかもしれねえ」

 市太はうなづくと一歩一歩確かめながら、舞台があったと思える辺りに行ってみた。焼け石はすっかり堅くなっていた。

「もう大丈夫だ」と市太は皆に言った。

 半兵衛はうなづくと焼け石の上に踏み出した。思い切り焼け石を下駄で蹴ってみた。砕けた焼け石の中をよく見てみたが燃えている様子はなかった。

「大丈夫のようじゃな」

 おろくもおゆうも恐る恐る焼け石の上に上がった。四人は足元に気をつけながら、村の上を歩き回った。この辺りが表通りだ、この辺りが俺の家だ、あたしの家だと確認し合ったが、空しさがつのるばかりだった。だんだんと皆、口数が少なくなって、観音堂に戻ると石段に腰を下ろした。

「何だかんだ言ったってしょうがねえ。もう、村はなくなっちまったんだ」市太が言うと、

「村はこの下にちゃんとある」と半兵衛は強い口調で言った。

「そんな事アわかってる。だが、もうダメだ。こんなとこに戻っちゃア来られねえ」

「若旦那、わしはな、ここで生まれたわけじゃアねえ。はっきり言やア来たり者(モン)じゃ。だが、わしはこの村に骨を埋めるつもりで、今まで生きて来た。わしに取って、この村は故郷(フルサト)なんじゃ。ここより他に行くとこなんて、どこにもねえんじゃ」

「そんな事、半兵衛に言われなくたってわかってらア。俺アこの村で生まれて、この村で育ったんだ」

「いいや、わかってねえ。故郷ってえもんが、どんなもんだか、若旦那にゃアわかってねえ。わしは故郷を捨てた。追い出されたんじゃ。無宿者(ムシュクモン)にされて、あちこちさまよった。江戸に出た事もある。だが、何をやってもうまくは行かねえ。結局は旅から旅への流れ者じゃ。六里ケ原で行き倒れになって、馬方に助けられて、この村に来た。今まで、人並みに扱ってもらった事なんかなかったんに、大旦那(市太の祖父)は、わしを人並みに扱ってくれた。大旦那のお陰で、わしはこの村で人並みな暮らしができたんじゃ。嚊(カカア)も貰って子供もできた。亡くなった嚊や子供のためにも、わしはここに戻って来なくちゃならんのじゃ。大旦那に恩返しするためにも、もう一度、ここに鎌原村を作らなけりゃアならんのじゃ」

 市太は焼け石に埋まった村を眺めながら、ここに村を作るなんて不可能だと思っていた。

「若旦那は江戸に出るって言ってたな。それもいいじゃろう。だがな、今、江戸に行っても若旦那にゃア、もう故郷はねえんだぜ。帰るとこはどこにもねえんだぜ。無宿者と同じじゃ。帰るとこがねえってえのは辛え事じゃ」

 市太は黙っていた。おろくもおゆうも何も言わなかった。

 ガタッと何かが倒れる音がした。四人は一斉に振り返った。

 観音堂の中に人影が見えた。

「誰かいるわ」とおゆうが脅(オビ)えた声で言った。

 市太と半兵衛は警戒しながら観音堂に近づいた。観音堂にいる人影もじっとしたまま、こちらを見つめている。

「あれ、おめえは山守の八蔵じゃねえのか」と半兵衛が声を掛けた。

 ボサボサのザンバラ髪で、着ている着物もボロボロだった。腰にナタをぶら下げ、自分で作ったのか奇妙な下駄を履いている。脅えたような目付きでこっちを見ていた。変わり果てた姿だが、間違いなく八蔵だった。

「おめえ、生きてたのか」と半兵衛が言うと、八蔵は逃げるように観音堂の中に隠れた。

 暴れ回る八蔵を二人はやっとの事で捕まえ、観音堂の外へ連れ出した。八蔵は脅えきっていた。目付きが虚ろで、何を聞いても、アーアーウーウー唸るばかりだった。

「生きてたなんて信じられねえ」と市太は八蔵を見ながら言う。「あん時、延命寺の和尚たちと一緒に、お山に登ったはずなのに」

「余程、おっかない目に会ったのね」とおゆうが言った。

「怪我してる。早く洗った方がいいわ。あたし、水を汲んで来る」

 おろくは観音堂にあった桶を持って古井戸の方に向かった。

「おい、ちょっと待て。一人じゃ危ねえ」

 市太は八蔵を半兵衛とおゆうに頼むとおろくの後を追った。

「大丈夫よ」

「いや、八兵衛のように、お山で生き残った獣が出て来るかもしれねえ。奴らは凶暴になってるからな、何をするかわからねえ」

「脅かさないでよ」

「おめえに怪我されたかアねえんだよ」

 市太はおろくから桶を受け取った。

 市太が汲んで来た水を見ると八蔵はむさぼるように飲んだ。水を飲んで安心したのか、おろくが傷口を洗っている間も騒ぐ事はなかった。切傷が何ケ所もあったが、それ程、深い傷はなく、歩く事はできそうだった。

「さて、今日のとこは、これで帰るか」

 半兵衛が言うと皆もうなづいて、八蔵を連れて大笹に向かった。

 大笹に戻ってみると鎌原村の生存者たちのおよそ半数の四十人余りが、一里半程北にある干俣(ホシマタ)村に移っていた。

 鎌原村の名主(ナヌシ)、儀右衛門の妻おさよは干俣村の名主、干川小兵衛の娘だった。家族全員を失い、たった一人で生き残っていた。娘が生きていると聞いて、飛んで来た小兵衛は大笹に来て、長左衛門が鎌原村の避難民を旅籠屋に入れて面倒を見ている事を知った。長左衛門だけに負担させるのは申し訳ないと半数の者を引き取って行ったのだった。

 干俣村に行った者の中に杢兵衛夫婦もいた。杢兵衛の妻おすみは干俣村の生まれだった。百姓代の仲右衛門や扇屋の家族、おしまの家族、孫八の家族らが干俣村に移っていた。

 山守の家族は大笹に残っていた。祖父の長兵衛も母親も弟の丑之助も幽霊でも見ているかのように八蔵を見た。八蔵には家族もわからなかった。脅えたような目で自分を囲む者たちを眺めて、アーウー唸っている。変わり果てた姿に驚きはしたものの、生きていてよかったと母親は八蔵を抱き締めると泣き出した。
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