天明3年7月、浅間山が大噴火を起こし、鎌原村は火砕流にのまれて、500人近くの村人が亡くなりました
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33.七月十五日
2007年12月20日(木) 11:41
33.七月十五日




 大笹に来た鎌原村の生存者たちは衰弱しきっているので旅籠屋に収容された。風呂に入れる者は体を洗って、乾いた着物に着替え、お粥(カユ)を食べて、布団の上に体を伸ばして、ゆっくりと眠った。

 市太は昼過ぎまで眠っていた。目が覚めて隣を見るとおろくはいない。半兵衛と娘のおふじはぐっすりと眠っている。おまちも眠っているが姉のおゆうの姿はなかった。

 厠(カワヤ)に寄ってから、市太は外に出た。

 雲一つない青空が広がっていた。お天道(テント)様を見るのも久し振りだ。日差しは強く、眩(マブ)しかった。市太は体を伸ばすと深呼吸をした。生きていてよかったとしみじみと感じた。

 表通りには近在の避難民たちが虚ろな顔をして行き来している。問屋に行くと、庭に大釜を出して女衆(オンナシ)が炊き出しをしていた。仮普請(カリブシン)の小屋の中には年寄りや子供たちが疲れきった顔で横になっている。市太は呆然とそれを眺めながら、ひどい目に会ったのは自分たちだけではなかったのだと実感した。

「おなか、減ったでしょ」と声がして振り向くと、おろくがいた。

 襷(タスキ)掛けをしたおろくが、お粥の入ったお椀と箸(ハシ)を差し出した。

「すまねえ。おめえ、ずっと手伝ってたのか」

「そうじゃないけど、目が覚めちゃったから。ここに来たら、おゆうさんが手伝ってたんで、あたしも一緒にやってたの」

「ほう、おゆうもいるのか」

「ほら、あそこに」

 おろくが示す方を見ると、木陰で休んでいる者たちに、おゆうがお粥を配っていた。

「へえ、あんな事をするたア、あいつも草津に行って変わったな」

「さっき、一緒にお粥を食べて、色々と話を聞いたの」

「勘治の事か」

 おろくはうなづいた。

「信じられないって、勘治さんが亡くなった事が。もしかしたら、どこかで生きていて、ここに来るかもしれないって」

「そうか‥‥‥そうだんべなア。俺だって信じられねえ。惣八や安が生きてたように、勘治も生きてると思いてえ」

 市太は腰を下ろすとお粥を食べ始めた。

「食欲も大分、出て来たぜ」

「あたしもお代わりしちゃった」とおろくは笑った。

「大分、顔色もよくなって来たな」

「うん、昨夜はよく眠れたもん」

「夢ん中にな、三治が出て来たぜ。いつものように笑いながら、若ランナって呼びやがった。俺の手を引いて観音堂に連れて行こうとするんだ。でも、石段がやけに長くてな、いくら登っても観音堂に着かねえんだ」

「それでどうしたの」

「どこからか、鈴の音が聞こえて来てな、振り返るとおめえが石段を登って来たんだ。俺がおめえを待ってる隙に、三治はずっと先の方まで登ってって見えなくなっちまった」

「そう‥‥‥きっと、極楽に行っちゃったのね」

「そうかもしれねえな」

 おろくは目頭を軽く拭くと無理に笑って、「おみのさんたち、朝早くから狩宿に行ったんですって」と話題を変えた。

「馬方たちを連れて来るのか」

「そうだって。惣八さんや安治さん、丑之助さんたちも一緒に行ったみたい」

「ほう、奴らも行ったのか。狩宿まで行ったとなりゃア、一日じゃ帰って来られねえかもしれねえな」

「でも、今日はいいお天気だし、足跡をたどって行けば大丈夫だろうって、ここの旦那さんが言ってました。そうそう、さっき、お関所の鎌原様もお見えになったのよ」

「鎌原様か。そういやア、鎌原様の家族もみんな亡くなっちまったんだったなア」

「鎌原様と一緒にお関所にいた西窪(サイクボ)様の御家族もみんな亡くなってしまったそうよ」

「そうか‥‥‥鎌原様には弟がいたっけなア。ヤットウの稽古で馬庭(マニワ)にいるはずだが、お屋敷もなくなって、兄弟二人しか残らねえとなると、これから大変だア」

 やがて、旅籠屋から鎌原村の者たちがやって来た。おろくはおゆうと一緒にお粥を配って回った。

 市太は問屋の裏にある長左衛門の屋敷に向かった。長左衛門は代々、名主を務める家柄で屋敷も立派だった。市太の家族は旅籠屋ではなく、ここの客間に世話になっている。庭でおみのの妹、おさえと出会った。男勝りの姉とは違っておとなしい娘だった。

 おさえの案内で客間に行くと主人の長左衛門が来ていた。みんな、ぐっすりと眠ったらしく、顔色もよくなっている。叔父の弥左衛門と兄嫁のおきたの姿はなかった。おきたは実家が大笹にあるので、そっちに行ったのだろうが、弥左衛門がいないのは、もしや、狩宿まで行ったのかと長左衛門に聞くと、やはり、そうだった。

「叔父御も随分と張り切ってるな」と市太が皮肉っぽく言うと、

「あれはあれなりに苦しんでいるのさ」と長左衛門は言った。「作右衛門が荷物を止めようとしたのを真田様の荷物を止めるわけには行かねえと言ったのは弥左衛門らしい。しかし、荷物があまりにも多すぎた。今更、やめるわけにも行かず、慌てて、ここに飛んで来たのさ。荷物を止めてくれってな。自分は助かったが、大勢の馬方たちは亡くなった。自分のせいだと責任を感じてるのさ」

「そうだったのか‥‥‥」

「おまえは旅籠屋の方にいるそうだな。観音堂にいた時も、小屋の方にいて、村人たちを励ましてたそうじゃねえか」

「いや、そんなんじゃねえ」

「わかってるよ」と長左衛門は意味ありげに笑った。「いい嫁さんを見つけたらしいな。さっき、会ったぞ。見た事もねえ娘が炊き出しを手伝っていた。小屋にいる病人たちの面倒もよく見ていた。感心な娘だと女衆に聞いてみたら、鎌原の娘だと言うが、それ以上は知らなかった。たまたま、昨日、鎌原まで行った若え者がいてな、あの娘はおめえの嫁さんだと言いやがった。そんな話は初耳だが、あれはいい娘だ。おめえもいい娘に目を付けたな」

「兄さん、まだ決まったわけじゃア」と母親が言った。

「なに、気にすんな」

「そうじゃなくて、あの娘は‥‥‥」

「いや、何でもないんじゃよ」と祖父が母親を押さえた。

「まあ、今の時期に祝言は挙げられまい。落ち着いたら盛大にやろうじゃないか。あれはいい嫁になるぞ」

 長左衛門は市太の肩を叩くと出て行った。

 長左衛門が消えると母親が市太に近寄って来て、「おまえ、いい加減に、おろくとは別れなさい」と強い口調で言った。「お父さんもお兄さんも亡くなって、家を継ぐのはおまえしかいないんですよ。もっと、しっかりしてもらわなくては困ります」

「おきつさん、市太郎はしっかりしているよ」と祖父が口を出した。「それはおまえさんだって、充分に承知しているじゃろう」

「それだって‥‥‥」と言いながら母親は急に泣き崩れた。

 市太はその場を離れ、炊き出しが行なわれている庭に向かった。半兵衛がおふじとおまちを連れて、お粥を食べていた。

「おう、若旦那、うめえぞ」

「俺アもう食べた。おふじちゃんの具合(グエエ)もよくなったようだな」

「ああ、ぐっすり眠ったせいか、熱も下がった。わしもすっかり生き返ったようじゃ」

「そいつアよかった」と言いながら、市太はおろくの姿を捜していた。

「おろくなら旅籠屋の方に帰ってったぞ。若旦那を捜しに行ったんじゃねえのか」

「そうか」と市太は半兵衛と別れて旅籠屋に帰った。部屋にいるかと思ったが、おろくはいなかった。

「まったく、今度はここんちの飯炊きをやってるんじゃあるめえな」と市太はお勝手の方に顔を出してみた。

 お勝手にもおろくはいなかった。

「どこ行っちまったんでえ」

 宿の者に聞くと、裏の庭にいたという。行って見るとおろくは洗濯をしていた。

「おめえ、何やってんだ」

「あっ、市太さん。すっかり忘れてて」

「こいつア俺たちが着てた物だんべ。何も洗濯する程の物じゃアねえ」

「だって、綺麗に洗えばまだ大丈夫よ。みんな、無一文なんでしょ。着物だって貴重だわ」

「まあ、そうだけどよう、おめえが一人でやる事アねえだんべ」

「みんな、まだ疲れてるわ」

「おめえだって、まだ、まともじゃアねえんだぜ」

「でも、あたしはじっとしてるのは苦手なの」

「それにしたって、この汚えのを、おめえ一人でやるつもりかい。そいつア無理ってえもんだ」

「いいのよ。できるだけやるわ」

「まあ、好きにするさ」と市太もそれ以上言うのはやめて、おろくの側にしゃがみこむ。「だけど、無理すんなよ。まだまだ、これからが大変(テエヘン)だからな」

「これからって?」

「色々あるだんべ。まず、住むとこを見つけなくちゃならねえし、うちも建てなくちゃアならねえ」

「ねえ、あたしたち、村に戻れるの」

「あんなとこに戻りてえのか」

「だって、みんなが埋まってるのに放って置くの」

「しょうがねえだんべ。あそこまで埋まってるってえ事ア三丈(約九メートル)はあるぜ。そいつを掘り起こすのは至難の技だ」

「でも‥‥‥」

「とくかく一度、村がどうなっちまったのか、見に行かなきゃアなんねえな」

「あたしも連れてって」

「そうだな、それだけ元気がありゃア大丈夫(デエジョブ)だんべ。明日、半兵衛を連れて行ってみるか」

「そうしましょ」と言いながらも、おろくは洗濯に励んでいる。

「見ちゃアいられねえ。手のあいてる女衆を連れて来らア」

 その晩、日が暮れてまもなく、狩宿から生存者たちが旅籠屋にやって来た。怪我をしている者たちも、皆に会いたいと無理を押してやって来た。その中におゆうの父親、三左衛門がいた。妻を失い、自分は怪我をしたが、二人の娘と再会し、涙を流して喜んでいた。三左衛門にはもう一人、嫁に行った一番上の娘おすわがいた。おすわは市太とも関係のあった器量よしで、嫁ぎ先の家族と一緒に亡くなっていた。

 幸助の弟、伊之助も怪我をしていた。兄の幸助と妹のはつ、そして、惚れ合っていた桶屋の娘おみよも亡くなっていた。おみよが生きている事を信じて、歯を食いしばって大笹まで来たが、夢は破れ、ガクッと泣き崩れた。

 路考こと権右衛門も生きていた。大笹まで来ても身内は一人もいなかった。おまんの姿を見つけると、「おかみさん、あんた、生きてたのね。よかったわア」と抱き着いて、ワアワア泣き始めた。

 畑で夫を亡くしたおふよの伜、音五郎も生きていた。たった一人残されたと悲しみに暮れていたおふよは再会を大喜びして、泣きながら神に感謝していた。武次郎もそうだった。独りぼっちになったと諦めていたら、父親が戻って来た。おみきも諦めていたら、夫と伜が戻って来た。

 感動的な再会が演じられる一方で、絶望の縁から出られない者も多かった。炊き出し、洗濯と張り切っていた、おろくも再会を喜ぶ者たちを見ながら、それを素直に喜ぶ事はできなかった。突然、顔を覆うと嗚咽(オエツ)しながら、その場から走り去った。

 市太が後を追うと、おろくは誰もいない部屋に戻って泣いていた。市太はそっとおろくを抱き締めた。
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