天明3年7月、浅間山が大噴火を起こし、鎌原村は火砕流にのまれて、500人近くの村人が亡くなりました
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26.七月六日
2007年12月06日(木) 12:09
26.七月六日




 お山がいくらか静まったのは真夜中の九つ(午前〇時)時分だった。皆、ホッとして外に出た。相変わらず浅間山は唸っているが、揺れも弱まり、降って来る砂も少なくなった。峠は越しただろうとおろくたちもおかよたちも家に戻った。

 市太はおろくの母親を連れ帰ると、おろくと別れ、家に帰って眠った。浅間焼けと火事騒ぎで疲れ切っていた。揺れも気にせず、ぐっすりと眠った。

 もう少し寝ていたいのに、朝早く、兄の庄蔵にたたき起こされ、市太は竹箒(タケボウキ)を持って外に出た。若衆組の者たちが通りの砂を掃いていた。ひどい揺れが続いたが、倒れた家はなさそうだった。浅間山を見ると呆れる程の物凄い量の黒煙が東の方に棚引いている。軽井沢方面の空は真っ暗だ。夜中に見た時、火口付近が真っ赤に燃えていたが、今も燃えているのかはよくわからなかった。

 市太は砂を掃きながら、おろくの家へと向かった。おろくの家も無事だった。それでも、一回りしてみると、壁にヒビが入っている所が何箇所もある。補強しなければ危険だった。それに、屋根の上に積もった砂も危ない。市太はその事を甚左に告げて対策を練った。

 おろくの顔を見て安心し、諏訪の森の中の舞台に向かった。大工の八右衛門が来ていて、熱心に点検していた。

「よう、権太、昨夜(ユンベ)は凄かったなア」と八右衛門は舞台の上から市太に声を掛け、「舞台(ブテエ)の方は大丈夫(デエジョブ)だ」とうなづく。

「そうか、よかった」と市太は八右衛門を見上げて笑うと、花道に積もった砂を竹箒で払い落とした。

「見物席の砂は後でみんなで片付けべえ。それより、治郎左と与七んちが焼けちまった。とんだ災難だ。こう毎日、お山が焼けたんじゃア片付けるのも大変(テエヘン)だぜ」

「棟梁(トウリョウ)が建てるのかい」

「そうなるだんべえが、一人じゃア無理だ。助(スケ)を頼まなけりゃならねえ」

「棟梁も大忙しだな」

「ああ、冬が来る前にやらなきゃなるめえ。忙しいこった」

 市太は棟梁と一緒に火事現場に向かった。途中、おまんの家に惣八の姿が見えた。

「おい、惣八、おめえ、何してる」市太が声を掛けると、

「おう、市太か。ちょっと手伝ってくれや」と惣八は手招きした。

「何がどうしたんだ」

「小道具がメチャクチャになっちまったんだ」

 市太は棟梁と別れて、おまんの家に入った。部屋の中は歩く間もないほど小道具が散乱している。

「ひでえなア、こいつア」

「棚からみんな落っちまんたんだ。ここだけじゃねえ。蔵の中もメチャメチャだ」

「おめえ、また、八兵衛に頼まれたのか」

「そうさ。馬の治療で忙しいんだとさ」

「そういやア、うちの馬も怪我したとか言ってたっけ。おまんと二人で片付けてんのか」

「そうだよ」

「ふーん。俺は邪魔だな。消えるよ」

「おい、そんな事言うなよ。手伝ってくれよ」

「俺も忙しいんだ」

 市太は手を振ると通りに戻った。

 焼け跡では治郎左と与八の家族が焼け残った家財道具を集めていた。近所の者たちも片付けを手伝っている。俺の出る幕じゃねえなと市太は竹箒をかついで、来た道を戻った。

 表通りの砂も大方、片付き、若い者たちは道端に座り込んで一服つけている。延命寺の参道の所で安治に声を掛けられた。市太が手を上げて答えると、安治は市太を延命寺の方に誘い、回りを気にしながら、「市太、桔梗屋の姉さん、知らねえか」と小声で聞く。

「知らねえけど、どうかしたのか」

「どこに行っちまったのか、いねえんだよ」安治は心配顔で市太を見る。

「大笹にでも行ったんじゃねえのか」と市太は言う。「ほれ、今日は六日だんべ。市に行ったんじゃねえのか」

「うちの者の話だと、一昨日(オッテエナ)の夕方(バンガタ)、どっかに行ったまま帰(ケエ)って来ねえそうだ」

「一昨日の夕方からいねえのか」

「ああ。もしかしたら、先生の後を追って江戸にでも行ったんかなア」

「まさか。江戸に行くとなりゃア手形がいるだんべ。黙って行くわけがねえ」

「そうだよな。まさか、山守の親爺みてえに、お山で死んじまったんじゃねえだんべなア」

「まさか、姉さんがお山に行くわけがねえ。そのうち帰って来るさ。心配ねえよ」

 そう言って、安治と別れたが、不吉な予感がした。

 もしかしたら、錦渓先生がお山から帰って来ねえんじゃねえだんべか‥‥‥市太はおゆくがあの後、二度ばかり大笹に行って先生と会っているのを知っていた。大笹までは一時(イットキ、二時間)もあれば行ける。いつも、夕方に店を閉め、向こうに泊まって四つ(午前十時)頃には帰って来て、店を開けていた。一昨日もそのつもりで大笹に行ったに違いない。それがまだ帰って来ないという事は、先生の身に何かがあったとしか考えられなかった。

 市太はおゆくの事を考えながら歩いていた。

「若ランナ」という声で我に返って、顔を上げるとおろくの家の前だった。何が嬉しいんだか、三治がニコニコしている。

「おめえはまったく幸せ者(モン)だよ」

 ドサッと砂が落ちて来たので屋根を見上げると松五郎が砂を落としていた。

「おい、手伝うか」

「いいえ。もうすぐ、終わりです」

「そうか。壁の方はこれからか」

「はい。親父が今、棟梁のとこに釘(クギ)を貰いに行きました」

「打ち付ける板はあんのか」

「ええ、古い奴ですけど何とかなるだんべ」

 三治が市太の袖を引っ張った。

「若ランナ、おろくが待ってらア」

「おう、そうか」と市太が家の中に入ろうとすると三治が庭の方に引っ張った。

 おろくは裏庭で洗濯物を干していた。

「今日は土砂降りがなけりゃアいいがな」

「あら、市太さん。昨夜はありがとうございました。母ちゃんも喜んでました」

「そいつはよかった。もう、二度とねえ事を願うが、今度またあんなに揺れたら、また来りゃアいい」

「はい」

 市太は縁側に腰を下ろして空を見上げた。ここからは隣の家が邪魔していて、浅間山は見えない。ここから見える空は真っ青で、お山が焼け続けているなんて、まるで、嘘のようだった。

「今晩はお芝居のお稽古できるかしら」とおろくが聞いた。

「わからねえなア。揺れはねえが、お山の煙は相変わらず、すげえからな」

「昨日から衣装をつけてのお稽古だったのに、中止になっちゃったし、今晩はできるといいのにね」

「そうだな。おめえ、見に行けるのか」

「大丈夫よ」おろくは洗濯物を干しながら、市太を振り返って笑う。

「兄貴が見えねえようだけど、どっか行ったのか」

「姉ちゃんが桐屋さんに連れてったわ。旦那さんのお稽古よ」

「今更、チョボの稽古じゃあるめえ」

「あの旦那、来年もチョボをやるつもりなのよ。『鮨屋(スシヤ)』に『吉野の道行(ミチユキ)』、『川連法眼館(カワツラホウゲンヤカタ)』のお稽古をしてるのよ」

「へえ、気の早えこったな」

「お山のせいでお客さんもいないらしいし、うちにいる時は三味線なんて持った事もないのに、向こうにいる時は姉ちゃんも一緒になってやってるらしいわ」

「へえ、あの姉ちゃんも義太夫をやってたのか。おめえもやりゃアいいじゃねえか。お師匠さんが側にいるんだからよ。あれだけ物覚えがよけりゃア、すぐに上達するだんべ」

「だって、そんな暇はないもの」

「暇なんて作るもんさ。俺と芝居の稽古を見に行く前、おめえはうちで何してたんだ」

「何って、縫い物とか臼挽(ウスヒ)きとか色々してたわ」

「それをやめたからって、大して変わらねえだんべ」

「そりゃそうだけど」

「そうやって少しづつ自分の時間を作って行きゃアいい。話は変わるがよう、武蔵屋の前に俺んちの土地があるんだ。もしかしたら、そこで貸本屋がやれるかもしれねえ」

「えっ、ほんと」おろくは洗濯物を干す手を止めて、振り返る。

「多分、大丈夫だんべ」

「そうなったら、あたしたち、そこに住む事になるの」

「そういう事だな」

「そこなら、母ちゃんの看病もできるのね」おろくは嬉しそうに笑う。

「ああ、兄貴の嫁さんが見つかるまでは、おめえが見るしかねえからな。爺ちゃんが結構、乗り気でな、俺が本を背負ってあちこち行く時は店番するって張り切ってるよ。そのうち、江戸まで新しい本を仕入れに行かなきゃならねえ。そん時はおめえも一緒に行くんだぜ」

「行きたいけど、江戸に行くとなると何日も掛かるんでしょ。そんなの無理よ」

「そん時はよう、誰か面倒味のいい女を雇えばいいじゃねえか」

「そんな人いるかしら」

「何とかなるさ」

「あら、叔父さんがいない」とおろくが慌てて辺りを見回す。

「あれ、さっきまでそこにいたんだが」

 二人は三治を捜し回った。屋根から落とした砂を片付けていた松五郎も知らないという。家の中にも家の回りにもいない。表通りにも姿が見えなかった。

「どこか行きそうなとこはねえのか」

「滅多に遠くには行かないんだけど‥‥‥もしかしたら観音堂かしら」

「観音堂?」

「ええ。この間もいなくなっちゃって、捜してたら扇屋のおかみさんが観音堂にいるって教えてくれたの。今、あそこで御祈祷していて人が大勢、集まってるでしょ。それで、お祭りと間違えて行くんじゃないかしら」

 二人は慌てて観音堂に向かった。いつもはひっそりとしているのに、石段を行き来している者は多かった。苦しい時の神頼みで、皆、藁(ワラ)をもすがる心境でお参りに行くのだろう。観音堂の前に集まる信者の数は日に日に増していた。ざっと見回した所、五十人近くもいるようだ。これだけの人が集まれば、三治が祭りだと勘違いするのも無理はない。

 三治は信者たちに混じって座り込み、両手を合わせて一心に祈っていた。二人は安心して、一番後ろに座って、両手を合わせた。

 三治を連れ帰ろうと人垣を分けて行った時、ふと、おゆくの姿が目に入った。市太は小声で声を掛けた。

「あら、若旦那」と言ったおゆくの顔はやけにやつれていた。

「話があるのよ」とおゆくは市太を連れて人垣から出た。

「どうしたんだ。大笹に行ったんだんべ」

「ここじゃまずいわ。うちに来て」

「姉さん、どうしたんですか」と三治を連れて来たおろくが聞いた。おゆくの顔色を見て、ただ事ではないと察したらしい。

「あんたも一緒に来てよ」

 おろくは市太の顔を見た。

「三治なら一緒でも構わねえだんべ」

 市太とおろくは三治を連れたまま、おゆくの店に向かった。もう道端には若衆組の者たちの姿はなかった。

 おゆくは土間の方から市太たちを店の方に連れて行き、店の戸は閉めたまま、小声で話し始めた。

「先生がお山から帰って来ないのよ」

「やっぱりそうだったのか。嫌な予感がしてたんだ」

「一昨日の朝、いつものようにお山に入ってったんですって。その晩、あたし、先生んとこに行ったの。先生もあたしの来る事はちゃんと知ってるから、必ず、帰って来るはずなのに帰って来なかった。あたし、心配になって、おみのさんに相談したの。おみのさんも心配して、若い衆に声掛けて捜し回ってくれたのよ。でも見つからなかった。そして、昨日の夜のあの大焼けでしょ。先生、お山で死んじゃったのかしら」

「先生は何で、お山が焼けてんのに、お山に入(ヘエ)ってったんだ」

「その前に行った時、後もう少しだって言ってたわ。何かいい手掛かりを見つけたんじゃないの。それで、いても立ってもいられなくて。お山が焼けてても自分だけは大丈夫だって‥‥‥先生、思い込みが激しいから」

「おみのたちはまだ捜してるのか」

 おゆくは首を振った。

「昨日の大焼けで、それ所じゃないのよ。それで、あたしも引き上げて来たんだけど、十日の窪まで来て、観音堂で御祈祷やってるのを思い出して、先生の無事を祈ってたのよ」

「あの先生の事だ。無事に帰(ケエ)って来るんじゃねえのかな」市太が励ますが、

「そうだといいんだけどねえ」とおゆくの顔付きは暗い。

「もしかしたら、江戸に帰ったんじゃねえのか。明礬を見つけてよう」

「だって、荷物はお宿にあるのよ。お山からそのまま、江戸に帰るわけないわ」

「そうか‥‥‥姉さん、また、大笹に行くのか」

「向こうに行っても、あたしにゃ何もできないからね。とにかく、お山が静かになってくれない事にはどうしょうもないわ」

「そうだな‥‥‥気持ちはわかるけど、あまり、酒を飲むなよ」

「わかってるさ。まだ、死んだって決まったわけじゃないもんね」

「寝てねんだんべ。まずはゆっくり休む事だ。お山が騒ぎ出しゃア寝たくても寝られなくなるからな」

「ああ、そうするよ」

 市太とおろくは三治を連れて桔梗屋を出た。

「姉さん、大丈夫かしら」とおろくが心配する。

「あの面(ツラ)はどう見たって、大丈夫とは言えねえ。もう冷や酒をあおってんじゃねえのか」

「放っておいてもいいの」

「放っておくしかねえよ。俺たちにゃア何もできねえ」

「若ランナ、お山の鬼が怒ってらア」

 三治に言われて浅間山を見ると、煙の量が増えていた。時々、煙の中に光が見える。

「こいつアまた来るかもしれねえぞ。早えとこ、うちの壁を補強しなきゃアならねえ」

 市太たちは急いで帰った。
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