天明3年7月、浅間山が大噴火を起こし、鎌原村は火砕流にのまれて、500人近くの村人が亡くなりました
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24.七月四日
2007年12月01日(土) 12:19
24.七月四日




 浅間山は毎日、焼け続けていた。きりもなく黒煙を吹き上げて、砂や小石を降らせ、地鳴りは続き、物凄い爆音と共に大揺れが襲った。幸いに、まだ、家々が倒壊する事はないが、仕事はまったく手につかず、夜中に揺れが来た時は一睡もできない。あちこちで祈祷をやっていても、まるで効き目は現れない。村人たちは疲れきって、持って行きようのない怒りにイライラしていた。

 舞台作りも順調には行かず、芝居の稽古も中断となった。ちょっとした事で言い争いが始まって、喧嘩が絶えなかった。それでも、勘治が登場する三幕目は無事に終わり、昨日の晩、いがみの権太が登場する四幕目の下市村の茶屋の場面もうまく行った。今晩は四幕目の小金吾(コキンゴ)が討たれる松林の場面、勘治も市太も出番はない。午前中、舞台作りを手伝っていた市太は勘治と別れて、昼飯を食べに武蔵屋に向かった。

 武蔵屋には二人連れの旅人と大笹から来た馬方が三人、のんきに昼飯を食べていた。市太は外が眺められる縁台に腰掛けた。

「あら、若旦那、珍しいじゃない。今日は一人なの」

「ああ、うどんを頼まア」

「はいはい。お酒はいいの」

「いいよ」

 女将は何か言いたそうだったが、客がいるので何も言わずに奥に引っ込んだ。

 うどんを食べ終わった後、市太は酒を頼んだ。客は皆、帰って、市太だけが残された。

「いつになったら、お山は静まるんでしょうねえ。今朝なんか、明け方近くにあんなに揺れるんですもの、まったく、おちおち寝てもいられやしない」

 後片付けしながら、女将が声を掛けて来る。市太は適当に相槌(アイヅチ)を打ちながら聞いている。

「六里ケ原は大変らしいわよ。ここは小石や砂で済んでるけど、向こうは大きな石が降って来るんですって。馬が騒いで、もう大変らしいわ。怪我人も何人も出て、誰も沓掛方面に行きたがらないそうよ。それ程、急ぐ荷物もないんで、お山が落ち着くまで見送ってるらしいけど、そういくつも荷物を止めてはおけないし、うちの人が行かなきゃならなくなるかもしれないなんて言ってたわ。それにね、お山から降る砂のお陰で、馬草の被害も相当なもんだそうよ。このままだと冬の飼葉がなくなっちゃうって‥‥‥」

 市太が突然、店から飛び出した。何事かと女将が外を見ると、市太は水を汲みに出て来たおろくと会っていた。

「しょうがないねえ」と女将は首を振ると下げ物を持って奥に入った。

 それから四半時(シハントキ)後、市太は村外れの道祖神(ドウソジン)の前に座り込んでいた。仲よく寄り添っている双体道祖神を眺めながら、古い煙管で一服つけている。やがて、おろくがやって来た。

「困ります。ほんとに」おろくは息を切らせながら言う。

「俺に会いたくなかったのか」と市太はおろくを見つめる。

「そりゃア会いたかったけど、でも」とおろくは目を伏せる。

「親父がおっかねえか」

「そうじゃありません」おろくは首を振ると市太を見上げる。

「じゃア、どうしてなんだ」

「どうしてって、所詮、あたしと若旦那は一緒にはなれないんです」

「どうして」

「どうしてって、家柄が違うもの」

「ふん、そんなのくそくらえって言ったんべ」

「そんな事言ったって無理です。あたし一人ならいいけど、みんなに迷惑が」

「誰に迷惑が掛かるって言うんでえ」

「誰にって、若旦那の親御さんや、うちの家族に」

「ふん、まあ、いいや。ここでゴチャゴチャ抜かしてる暇なんぞねえ。行くぞ」

 市太はおろくの手を取った。

「行くってどこに」

「草津だ。これから草津に行って、今後の事を考える」

「草津ですって」おろくは目を丸くして驚き、手を放そうとする。

「放して下さい。そんなの無理です。あたしはただ、煙管と煙草入れを返しに来ただけです」

「そいつはおめえに預けとくと言ったんべ。一緒になれるまで持っててくれ」

「そんな‥‥‥」

「とにかく、一緒に行くんだ」

 市太は強引におろくの手を引いた。

「ダメです。草津なんかに行けません」

「おめえ、草津に行った事あんのか」

「ないけど‥‥‥」

「たった半日で行けるのによう、行った事もねえなんて、おめえ、情けねえじゃねえか」

「そんな事言ったって」

「たった一度の我がままだ。おめえの親父だって許してくれるだんべ。それによう、もし、別れるような事になっても、一緒に草津に行けりゃア諦めもつくだんべ。今のまま、別れたくはねえ。なア、そうだんべ」

「だって、黙っては行けない」

「なに言ってんでえ。親に言ったら反対されるに決まってべえ。最後だと思って付き合ってくれ」

「でも、こんな格好じゃア」

「格好なんか構うこたアねえや。ちょっと遊びに行くだけだ。行くぞ」

 市太はグスグズしているおろくの手を引いて、中居への道を進んで行った。時々、後ろを振り返っていたおろくも村が見えなくなると意を決して、いそいそと市太の後ろに従った。

 中居村の茶屋で勘治が気を揉みながら待っていた。

「来られねえんじゃねえかと心配(シンペエ)したぜ。よかった。よかった」

「おゆうに会いに行くんだ」と市太はおろくに説明する。

「おめえたちが羨ましいぜ。何だかんだ言いながらも、会おうと思えば毎日、会えるんだからな。俺たちなんか十日に一度しか会えねえ、畜生め」

「早く行こうぜ」と市太は勘治を促した。「まだ、村に未練があるようだ」とぼんやりと川向こうを見ているおろくを気にしている。

「大丈夫だよ」と勘治がおろくに言う。「心配する事アねえ。たまには姉ちゃんに苦労させりゃアいいんだ。うちの事をみんな、おめえに押し付けて、色惚け爺いとイチャついてんだからな」

「それに、松がうまくやってくれるだんべ。松と兄貴は俺たちの味方さ」

 おろくは微かに笑った。

「やっと笑ったな。そう来なくっちゃアいけねえや。これから、俺たちの稼業を決めに行くんだ」

「えっ」とおろくは何の事というような顔をして市太の顔を見る。

「二人でよう、何か、新しい商売(ショウベエ)を始めるんさ。まだ、村にねえ商売だ。草津にゃア色んな店があるだんべ。そいつをおめえと一緒に見に行こうと思ったのさ」

「二人でって、若旦那は江戸に行くんでしょ」

「ああ、行くさ。おめえと一緒にな。その前におめえと一緒に商売を始めてよう、銭を溜めなきゃならねえ」

「でも‥‥‥」

「でもじゃねえ。おめえ、俺と一緒になんのは嫌なのか」

「そんな‥‥‥」

「俺はもう、おめえと一緒になるって決めたんだ。頼むから一緒になってくれ」

「若旦那‥‥‥」

「若旦那じゃねえって言ったんべ」

「市太さん」

 見つめあうおろくと市太。

「何やってんでえ。見ちゃアいられねえぜ」

 その時、ドドーンと雷が落ちたような音が響き、グラッと地が揺れた。浅間山を見ると、また黒煙を吹き上げている。茶屋で休んでいた者たちが飛び出して来て、浅間山を眺めた。

「大丈夫だ。砂が降って来るだけだんべ」

 市太は心配そうなおろくの手を引いて草津へと急いだ。その後、何度か浅間山が鳴り、小揺れがあったが、離れているせいか、灰や砂が降って来る事はなく、日暮れ前には草津の入り口にある白根明神に到着した。

「おめえたちに合わせてのんびり来たが、もう待ち切れねえ。俺は先に行くぜ」

 勘治は二人を置いて、さっさとおゆうがいる宮崎文右衛門の宿屋に飛んで行った。

 ここまで来てしまったら、もう、どうしようもない。おろくもすっかり開き直り、家族の事も忘れて、嬉しそうに市太に寄り添った。二人は宿屋の立ち並ぶ立町(タツマチ)の坂を下って、草津の中心、広小路(ヒロコウジ)へと行く。

 湯煙を上げている湯池(ユイケ、湯畑)を眺め、「まあ、すごい」とおろくは驚く。

「おう、さすが、一月前(メエ)と違って、客が一杯(イッペエ)だア。この前来た時は鉄蔵の兄貴も一緒だったんだ」

「おなつさんもでしょ」

「それを言うな。あん時アほんとにおめえの事を諦めかけた。おめえと一緒にこうして来られるなんて、まったく夢みてえだよ」

「あたしだって‥‥‥」

 湯治客の下駄の音が響き渡り、広小路を囲んで立つ宿屋の二階、三階からは三味線の浮かれ調子も聞こえて来る。市太はおろくに草津の事を説明しながら、『滝の湯』の側に建つ湯本安兵衛の宿屋に向かった。

 安兵衛の宿屋は湯治客が一杯だった。丁度、夕飯時で、客たちが壷(ツボ、部屋)の前で自炊をしているのが見え、おかずを売る者たちが威勢のいい声を掛けながら廊下を歩いている。

 主人の安兵衛は鎌原村の事を心配して、色々と聞いて来た。草津でも時々、揺れて、雷のような音が響き渡り、夜になると客たちは浅間焼けの火柱を眺めに白根明神の辺りまで出掛けて行くという。

「それにしても、お二人だけで来られるのは珍しいですな。若旦那のお嫁さんですか」

「ええ、そうなんです。これからもよろしくお願いします」

「いやいや、こちらこそ」

 安兵衛は御祝儀(ゴシュウギ)代わりだと眺めのいい部屋を取ってくれた。部屋に案内されるとおろくは大喜びだった。そこは広小路を見下ろせる最上級の部屋だった。

「こんなすごいお部屋に泊まれるなんて、まるで、お姫様になったみたい」

「すげえな。俺もこんな部屋は初めてだ」

 驚くのはまだ早かった。安兵衛は夕飯まで御馳走してくれた。その御馳走を前にして、おろくは益々、自分と市太の身分差を思い知らされたようだった。

「おめえに一つ、聞きてえ事があるんだ」と市太は黙り込んでしまったおろくに言った。

「なアに」とおろくは顔を上げた。

「もし、俺が問屋の若旦那じゃなかったら、おめえも俺の事を好きにはならなかったのか」

「そんな事を急に言われても」

「桔梗屋の姉さんに言われたんだ。俺から若旦那を取っちまったら、何もねえ、ただのゴロツキだってな」

「そんな事はありません」

「いや、姉さんの言う通りかもしれねえ。この部屋を取れたのも、この御馳走も、俺の力じゃねえ。ただ俺が問屋の若旦那だからだ。俺じゃなくたっていいんだ。誰だっていいんだよ。例えば、おめえの弟の松が若旦那でも、こういう待遇を受けるんだ。それが若旦那ってえもんだ。俺から若旦那を取ったら、何も残らねえ。それでも、おめえは俺が好きなのか。ほんとのとこを聞かせてくれ」

「あたし、若旦那、いえ、市太さんが好きです。たとえ、若旦那じゃなくても」

「若旦那じゃなけりゃア、こんな贅沢(ゼエタク)はできねえんだぜ。客が混んでるからって薄暗え狭え部屋に通されて、勿論、こんな御馳走なんか食えねえで、自炊しなけりゃならねえ。それでもいいのか」

 おろくはうなづいた。

「食うための芸もねえし、勿論、銭もねえんだぜ。それでも、いいのか」

 おろくは力強くうなづいた。

「よし、決まった。おめえがそう言ってくれたんで、俺もようやく覚悟を決めたぜ」

「覚悟って、何を決めたんです」

「この先、どうなるかわからねえが、俺はおめえと一緒になるって事さ。前にもその事は言ったが、ただの口先だけだった。でも、これからは本気だ。若旦那としてではなく、ただの一人の男として、俺はおめえと一緒に生きる事に決めた。これからは二度と若旦那と呼ばねえでくれ」

「市太さんこそ、あたしなんかでいいんですか。あたしにはお荷物が一杯いるんですよ」

「そんな事ア合点(ガッテン)承知之助さ。みんな引っくるめて、おめえに惚れたんだ。おめえとなら、いや、おめえだからこそ、この先一緒に苦労して行けそうなんだ」

「市太さん‥‥‥」

「これが最後の贅沢だと思ってよう、今晩は楽しくやろうぜ」

 おろくは目を潤ませながらうなづいた。
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