天明3年7月、浅間山が大噴火を起こし、鎌原村は火砕流にのまれて、500人近くの村人が亡くなりました
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23.七月一日
2007年11月29日(木) 11:31
23.七月一日




 いよいよ、舞台作りが始まった。大工の八右衛門と桶屋(オケヤ)の利右衛門を中心に、手のあいている若衆組(ワケーシグミ)の者が手伝い、朝から作業が始まった。

 一幕物ではないので、舞台上の場面は幕の合間に次々に変わる。それを手際よくやらなければならないので、大道具を担当する者たちは大変だった。三幕目の最初の場面は船問屋の渡海屋、次が大物浦(ダイモツウラ)。四幕目は下市村の茶屋と上市村の松林の場面に分かれている。今日は渡海屋の場面を作り、夜になって、実際に演技をしてみて具合の悪い所を直す予定。舞台上の大道具だけでなく、舞台の左横にある若衆小屋から舞台に向かって花道も作らなければならないし、若衆小屋を桟敷(サジキ)席と楽屋(ガクヤ)に分けなければならない。見物席も綺麗に草むしりをして整えなければならないし、やる事は色々とあった。

 市太と勘治も八右衛門を手伝って花道作りをやっている。

「やっぱり、花道がねえと芝居(シベエ)の舞台(ブテエ)ってえ感じがしねえな」

「ここを通って、『暫(シバラク)』がやってみてえな」と勘治が言うと、

「おう、いいなア」と市太は『暫』の見得(ミエ)を切る。

「俺たちが中老(チュウロウ)になったら、やろうじゃねえか。あっ、そうか、おめえはいねえんだっけ」

「そうと決まったわけじゃねえ」

「一体(イッテエ)、どうするつもりなんでえ」

「わからねえよ」

「俺としちゃア、おめえに最初の掟破りをしてもらいてえがな、惨(ミジ)めな結果に終わるんじゃア逆効果だ。おめえとおろくが村八分(ムラハチブ)にされたんじゃ、見せしめになっちまって、誰も後には続かなくなっちまう」

「誰が村八分だと」と八右衛門が口を出す。

「何でもねえんだ」と勘治が首を振る。

 八右衛門は勘治と市太の顔を見比べてから声を出して笑う。「おめえたち、あまり悪さをするんじゃねえよ。惣八みてえに役を降ろされちまうぞ」

「わかってるよ」

「噂をすりゃア何とやらだ。間男(マオトコ)野郎が来やがったぜ」

 惣八が木箱を抱えて、やって来た。

「おーい、惣八、おめえ、何やってんだ」

 市太が呼ぶと、惣八は二人に気づいて、「見たとおりさ」と近寄って来た。

「何でえ、その箱は。差し入れか」

「なに言ってやがる。小道具に決まってべえ」

「小道具だと。それじゃア、おめえ、まだ懲りずに、おまんのうちに出入りしてんのか」

「しょうがねえ。八兵衛に頼まれたんだ」

「八兵衛に頼まれただと」市太は勘治と顔を見合わす。

「そうさ。昨日、お山が焼けて、また、怪我人が出たんべえ。馬も何頭か怪我したらしくてな、八兵衛の奴、そっちが忙しくて、小道具まで手が回らねえそうだ。そこで、俺にやってくれってな」

「八兵衛が忙しいのはわかるが、おめえに頼むたア余程の間抜け野郎だな」

「それがよう、意外(イゲエ)な運びになってんだよ」

「何でえ、その意外な運びってえのは」

「ここじゃア何だ、後で話すよ」

「おい、勿体(モッテエ)つけるなよ」

「後だ、後。おめえらも忙しいだんべ。そうだなア、昼飯時に桔梗屋に来てくれ」

 そう言うと惣八は舞台の方へと行った。

「何でえ、ありゃア」

 正午の鐘が鳴った後、市太と勘治が桔梗屋に行くと惣八は待っていた。他所から来た馬方たちで店は混んでいる。惣八は二人を誘って店を出た。

「おい、昼飯を食うんじゃねえのか」

「話が聞きてえんだんべ。ここじゃア、ダメだ。そうだ、おめえの部屋に行くべえ」

 惣八は一人で決めるとさっさと鶴屋に向かった。

「ここに来るのも久し振りだな」と惣八は懐かしそうに勘治の部屋を見回す。

「昨夜(ユンベ)は市太が酔っ払って来やがって、そのまま泊まったんだ。今晩はおめえも泊まり込むんじゃあるめえな」

「そうだな。それもいいかもしれねえ」

「ダメだ。おゆうと一緒になるために親の機嫌を取ってるってえのに、おめえらが出入りし始めたら、何もかもぶっ壊しだ」

「それより、何でえ。さっきの続きを聞かせろよ」と市太は煙草盆(タバコボン)を引き寄せると勘治の煙管(キセル)で一服つける。

「実はな」と惣八は市太と勘治の顔を眺め、気を持たせてから話し始める。「今朝早く、うちに八兵衛がやって来たんだ。とうとう殴り込みに来やがったかと俺ア覚悟を決めて出て行った。どうせ、一度は話を付けなきゃならねえからな。うちの者たちが心配そうに見守っていやがったんで、俺は平気な顔を装って出て行った。奴は観音堂まで俺を誘って、途中、一言もしゃべらなかった」

「観音堂じゃア祈祷(キトウ)をやってたんべえ」と市太が聞く。

「いや、まだ誰もいなかった。奴はお山を眺めながら俺に言ったんだ。おまんとは別れるつもりだったとな」

「なに、ほんとかよ」と勘治が驚く。

「ほんとさ、俺もたまげたぜ」

「それじゃア筋が通らねえじゃねえか。何で、よりを戻したんでえ」と市太も納得できない。

「まあ、聞きねえ。八兵衛が言うにはな、あの騒ぎがあって、思い切って別れるつもりだった。ところが、うちの親父が謝りに行って、何もなかった事にしてくれって頼んだんだ。実際(ジッセエ)、あの夜は何もなかったんだがな。親父がいくらか包んだんだんべ。八兵衛は親父の言う通り、何もなかった事にして、おまんとよりを戻した。いや、よりを戻した振りをしてるんだ」

「それじゃア、今も別れるつもりでいるのか」

「そうらしい」

「女がいるのか」

「ああ、中居村にいるそうだ」

「追分の女郎の外にも女がいやがったのか」

「追分の方はもうとっくに切れてるらしい。おまんに気づかれそうになったんで、追分の女郎を持ち出したんだそうだ」

「へえ。それで、おめえとおまんの仲を許したってえわけか」

「そこまではっきりとは言わねえが、小道具の事を頼むって言われた」

「ほう。その小道具の中に、おまんも含まれるってえ事か」勘治が笑いながら言う。

「馬鹿言うな。おまんは小道具なんかじゃねえ」

「そうむきになるなよ」と市太がなだめる。「それで、八兵衛とおまんはいつ別れるんだ」

「祭りが終わったら別れるって言ってた」

「そうか。で、おめえはおまんと一緒になるのか」

「そのつもりだ」

「おまんは石女(ウマズメ)だぜ。いいのか」

「いいさ。どうせ、俺ア次男だ。跡継ぎなんかいらねえ」

「まあ、よかったじゃねえか。とにかく、祭りが終わるまでは騒ぎを起こさねえこったな」

「わかってるよ。じっと我慢さ。てえ訳だ。まあ、おめえたちも頑張れや。さてと、飯でも食いに行くか」

 惣八は言いたい事を言うと浮き浮きしながら部屋から出て行った。

「いい気なもんだぜ、まったく」

「なあ、惣八とおまんはどうなんだ」と勘治が市太に聞く。

「何が」

「家柄さ」

「おまんはお頭の妹だ。親父は村役人をしてたしな、惣八んとこと同じだんべ」

「そうか。面白くも何ともねえな」

「惣八の奴もいよいよ身を固めるか」

「あとはおめえだけだ」

「畜生、何かいい手はねえのかよう」

「難しいな」

 二人も桔梗屋に向かった。年寄りや女衆(オンナシ)がゾロゾロと延命寺に向かっていた。

「何かあるのかい」と市太が勘治に聞く。

「また、御祈祷(ゴキトウ)が始まるそうだ」

「へえ。延命寺でも始まるのか。観音堂でもやってるし、験(ゲン)比べってえわけかい」

「それだけじゃねえよ。熊野権現でも飯縄(イイヅナ)権現でも始まってるらしい。この二、三日、あちこちから祈祷師(オガミヤ)がやって来て、信者を集めて御祈祷だ。所詮、銭儲けに集まって来た下らねえ奴らだが、こう毎日、お山が焼けたんじゃ、何かにすがりたくなるのも無理アねえ」

「村の不幸で銭儲けか。許せねえ奴らだな」

「許せねえたってしょうがねえ。信じる者がいるんだからな。おめえんちの爺さんだって、永泉坊とかいう行者(ギョウジャ)の熱心な信者だんべえ」

「あの山伏は爺ちゃんが信じるだけあって、ただ者じゃアねえぜ」

「みんな同(オンナ)じさ」と勘治は首を振る。「あの行者が観音堂で御祈祷を始めたんは三日前だんべ。ちっとも効き目がねえじゃねえか。お山が静まる気配はまったくねえ。ますます激しくなってるぜ」

「そうじゃねえんだ」と市太は言う。「永泉坊の話によると、お山を静める事アどんなに偉え行者でもできねえんだそうだ。自然の力ってえのは偉大で、祈祷なんかじゃ左右できねえ。永泉坊がやってる祈祷はお山を静めるんじゃなくて、観音様にすがって、村人たちの無事を祈ってるそうだ」

「へえ。村人たちの無事をねえ。うめえ事言うじゃねえか。それならうまく行くかもしれねえ」

 桔梗屋で昼飯を食べると、二人は舞台作りに戻った。今日は大丈夫だろうと安心していた八つ(午後二時)頃、浅間山が唸り始めた。揺れも加わって来て、作業は中断となった。

 晴れ渡っていた青空はあっと言う間に薄暗くなり、灰がチラチラ降って来る。浅間山を見ると黒煙を天高く吹き上げていた。

「ここにいてもしょうがねえ。俺ア帰るぜ。近えうちに草津に行くつもりだからな、親の機嫌を取らなきゃならねえ」

 勘治は帰って行った。市太は観音堂へと向かった。昨日より信者たちの数は増えていた。二十人はいるようだ。特に女衆が多い。毎日のように砂や石が降って来るので、工夫して綿入れの頭巾(ズキン)を被っている者もいる。

 観音堂内に入りきれず、前の庭に座り込んで一心に祈っている者たちを横目に見ながら、市太は浅間山を眺めた。この世のものとは思えない凄い眺めだったが、もう見慣れている。天まで貫く黒煙の太い柱を眺めながら、市太はおろくの事を思っていた。

 親子の縁を切り、おろくと一緒になったとしても、うまく行くたア思えねえ。親父に頭を下げて馬方をやって、ろくに作物も取れねえ畑仕事に精を出し、朝から晩まで働いてもギリギリの生活だんべ。かといって、このまま、おろくと別れて江戸に行きたかアねえ。

 勘治のようにおろくを誰かの養女にして、嫁に迎えるという手もあるが、一緒になってから何をしたらいいのかわからねえ。一緒に江戸に出るのは無理だんべ。となりゃア、ここにいて何かをやらなけりゃアならねえ。一体、何をやりゃアいいんだ‥‥‥

 突然、大音響と共にグラッと揺れた。市太は咄嗟(トッサ)に松の木にすがった。

 浅間山を見ると黒煙の中に稲光(イナビカリ)が走っている。後ろで女衆が騒ぎ出した。

「大丈夫だ。落ち着け、落ち着くんだ」と誰かが怒鳴っている。

 やがて、砂が降って来た。

 聞き慣れた声がしたので振り返って見ると、おなつがいた。おなべも一緒だった。そして、おかよの兄、長治と隣に住む伊八がいた。二人とも市太より一つ年下、二人にはおなつとおなべは勿体ねえとは思ったが、余計な口出しができる立場じゃない。見て見ぬ振りをして、手拭を被ると揺れる石段を駈け降りた。
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