天明3年7月、浅間山が大噴火を起こし、鎌原村は火砕流にのまれて、500人近くの村人が亡くなりました
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22.六月二十九日
2007年11月27日(火) 12:25
22.六月二十九日




 市太が目を覚ましたのは昼四つ(午前十時)を過ぎていた。頭がガンガン痛かった。

 おろくの家から戻った市太は父親に詰め寄った。父親は絶対に許さないと言い切った。先祖代々続いた家柄に傷が付くという。

「おまえがそんな我がままを言い張るとおろくが悲しむ事になるんだ」

「そんな事はねえ」

「わしがおまえたちの事を許してもどうにもならんのだ。これは村の掟(オキテ)なんだ。古くからの掟を破るわけには行かん。破った者がどうなるかわかってるのか。村八分(ムラハチブ)にされるんだぞ。おまえを勘当しなければ、うちも村八分にされる。当然、おろくのうちも村八分だ。村八分にされたら、馬方の仕事はできないし、甚太夫だって義太夫を教えてはいられない。あの家は食って行けなくなる。村八分にされないためには、おろくを勘当しなければならない。おろくがいなくなったら、母親の看病は誰がするんだ。おろくの事は忘れるんだ」

 自分の部屋に戻ると、やけ酒を飲み始め、明け方近くに酔い潰れて眠ってしまったらしい。着ている着物は砂だらけだった。

 市太は着替えるとフラフラと外に出た。問屋はいつものように忙しそうだ。馬方に指図している兄や叔父を避けるようにして表通りへと出た。

 浅間山を見上げると黒い煙を吹き上げて、ゴーゴー唸っている。いつまた、大揺れが来てもおかしくない状況だった。

「若旦那、なにボケッとしてるの」と声を掛けられた。

 巴屋の暖簾から、おかよが覗いていた。

「おろくさんと何かあったのね」

「いや、そうじゃねえが」

「目が真っ赤じゃない」

「ああ、ろくに寝られなかったからな」

「みんな、そうよ。朝から田畑を見回ってたわ。また、全滅しちゃったのよ。もう、終わりだって、みんな、嘆(ナゲ)いてるわよ」

「そうか‥‥‥そうだんべなア。あんなに砂が降って来やがったからな」

 市太は用水の脇にしゃがむと水をすくって飲んだ。

「おろくさんちもそうなんでしょ」

「多分な‥‥‥ちょっと見て来るか」

 市太はおろくの家には寄らずに、直接、畑の方に行った。無残だった。やっと芽を出した作物が皆、砂に潰されていた。知らずに涙があふれ出て来た。

「畜生、畜生」と言いながら、市太は砂をつかんでは投げ捨てた。

 黒煙を吹き上げている浅間山を睨みながら、市太はいつまでも畑にいた。もしかしたら、おろくが来るかもしれないと待っていたが、おろくは現れず、トボトボと畑を離れた。

 延命寺の正午を告げる鐘が鳴って、すぐだった。浅間山が噴火した。耳をつんざく音が鳴り響いて、地面が傾いた。

 市太は村外れを歩いていた。慌てて身を伏せて、浅間山を見ると黒煙は勢いよく天高くまで昇りつめ、時折、火柱が立っていた。見る間に砂や小石が降って来た。市太は手拭で頬被りをすると、おろくの家に向かった。

 家が揺れるので、家の中にいたら危ない。かと言って、外に出れば石や砂が降って来る。村人たちはどうしていいかわからずにオロオロしていた。

 おろくたちは家の中の土間に固まっていた。松五郎と馬はいなかった。母親は横になったまま、戸板の上にいる。誰がどうやって、ここまで運んだのかわからなかった。

「うちは大丈夫だ。帰ってくれ」

 市太の姿を見ると甚左は冷たい声で言った。

 市太はおろくをじっと見つめていた。おろくも泣き腫らした顔で市太を見つめていたが、袂(タモト)から市太の煙管と煙草入れを出して差し出した。それを見て、三治が被っていた菅笠を市太に差し出した。その時、家がグラッと揺れた。

「ここにいちゃア危ねえ」と市太は身を伏せて叫んだ。

「危ねえたってしょうがねえ。おめえさんには関係ねえこった。さっさと出てってくれ」

「そいつはおめえに預けておく」

 市太は煙管と煙草入れは受け取らず、菅笠だけを返してもらい、それを被って外に出た。

 雷がいくつもまとまって落ちて来たような音が鳴り響き、耳をふさいで身を伏せた。よろけながらも、ようやく、家にたどり着いた。

 繋(ツナ)がれた馬たちが悲鳴を上げて騒いでいる。女たちは土蔵の中に避難していた。母親から祖父と妹たちが無事かどうか見て来てくれと頼まれ、市太は観音堂へと向かった。

 お山は雷のようにゴロゴロ鳴り、揺れは少しも治まらない。砂は音を立てて降って来る。十日の窪(クボ)は雨が降ると雨水が溜まって、十日も引かない事から名付けられたというが、今は雨水ではなく、お山から降った砂や灰が溜まっていた。市太は足を埋めながら砂の上を歩き、這うようにして石段を登った。

 観音堂では熊野の山伏、永泉坊の祈祷が続いていた。お堂が揺れるのも構わず、一心に護摩(ゴマ)を焚いている。祖父たちの姿は見えない。裏の若衆小屋を覗くと土間に集まっていた。市太も小屋の中に飛び込んだ。

「ひでえ目に会った」

「この土砂降りの中、わざわざ、拝みに来たのか」と市左衛門はのんきな事を言う。

「まさしく、土砂降りだ」と市太は菅笠を脱いで、砂を払う。「うちに帰(ケエ)ったら、おっ母が爺ちゃんの事を心配してたんだ。みんな、無事なのか」

「大丈夫じゃ、わしらにゃ観音様が付いている」

 祖父と妹のおさやとおくら、酒屋の旦那と娘のおみや、山守の隠居と亡くなった山守のおかみさん、名主の母親と姉、扇屋の旦那とその母親、仙之助の両親もいた。皆、永泉坊の熱心な信者だった。

「爺ちゃん、いつになったら、お山は静かになるんだい」

「そんな事はわしにもわからん」

「山守の爺さんにもわからねえのか」

「わからねえ」と長兵衛は首を振る。「ただ、言える事はお山が吐き出す物をすべて吐き出さねえ事には、今度のお山焼けは治まらねえだんべ」

「腹ん中が空っぽになるまで続くってえのか」

「多分な」

「後どのくれえ砂や石が降りゃアいいんでえ」

「そいつがわかりゃア、行者さんに御祈祷なんか頼まねえだんべ」

「畜生め、どうせなら、さっさとみんな吐き出しちまえばいいのによ。ちっとづつ小出しになんかしてねえで」

 みんなが無事だったので、市太は安心して若衆小屋を離れた。大揺れもいくらか治まり、降っていた砂も小降りになった。浅間山を見ると、天を貫いていた黒煙も東にたなびいている。どうやら、峠は越したようだ。

 表通りに出ると村人たちは皆、家から出て浅間山の方を見ている。市太は通りに突っ立ったまま、おろくの家の方を見た。武蔵屋の女将の姿はあったが、おろくの姿はなかった。市太はうなだれ、反対方向の自分の家に足を向けた。が、家の前を素通りして、桔梗屋に向かった。

「姉さん、大丈夫だったかい」

「あら、若旦那」とお勝手から顔を出したおゆくは、「もうメチャクチャよ」とブツブツ文句を言っている。それでも、頭にかぶった手拭を取ると、「あたしの心配してくれたの」と嬉しそうに笑う。

「ああ、先生の名代(ミョウデエ)だ」

「ありがとう。あたしは大丈夫よ」

「昼時だったけど、客はいなかったのか」と市太は店の中を見回して聞く。縁台や板の間は綺麗に片付いていた。

「いたわよ。大笹の馬方衆がね」

「もう帰ったのか」

「ええ、おっそろしいって、みんな、震えながら慌てて帰ってったわ」

「大笹より、こっちの方が揺れるのかな」

「そうみたいね。ねえ、おろくちゃんちの畑仕事をしなくてもいいの。砂が降ったから大変でしょうに」

「いいんだ。姉さん、酒をくれ」

「あら、珍しい。昼まっから飲むなんて久し振りじゃない」

「そうだっけ」

「みんなが一緒の頃はよくやってたけど、勘治たちが抜けて、おなっちゃんも抜けて、今はみんなバラバラになっちゃったもんね」

「そうでもねえよ。勘治とは昨夜も飲んだ」

「あら、そう。何があったか知らないけど付き合ってあげるわ。例のお酒持って来るわね」

「すまねえな」

 市太はおゆくを相手に飲んで、愚痴をぶちまけた。

「なに情けない事を言ってんだい。やっぱり、あんたは問屋のお坊ちゃまだよ。家柄だの身分だの、そんな物をなくすなんて言いながら、自分はちゃっかり問屋の若旦那ってえ身分に座ってるつもりかい。笑わせるねえ。何だかんだ言う前に、まず、自分が身分を捨ててみな。若旦那ってえ身分を捨てて、ただの男になってみな。へん、偉そうな事言ったって、そんな事アできないだろう」

「うるせえ、若旦那なんて、くそくらえだ」市太はぐいぐい酒を飲む。

「言うだけなら誰だってできるさ。あんた、わかってんのかい。若旦那ってえ身分がなくなったら、あんたなんか役立たずのただのゴロツキさ。こうやって、昼まっから、お酒なんか飲んじゃアいられないんだよ。おまんまだって食えやしないし、女だって誰も近づいちゃア来ないんだよ」

「そんな事アねえ」

「そんな事アあるさ。あんたが若旦那だから、今まで無事にいられたんだ。もし、あんたがおろくんちに生まれてたら、どうなってたと思う。今頃は無宿者(ムシュクモン)になって、どこをさまよっているやら。もしかしたら、もう殺されてるかもね」

「うるせえ。いい加減な事を言うな」

「いい加減じゃないさ。ほんとの事だよ。あたしだってそうさ。あんたが若旦那だったから寝たんだよ。おなつだってそうだろ。あんたが若旦那だから好きになったんだよ。おろくだって同(オンナ)じさ」

「違う。そんな事アねえ」

「それじゃア、聞くけど、あんたから若旦那を取ったら、何が残るんだい」

「何が残るって、俺は俺だ。ちっとも変わらねえ」

「わかってないねえ。もっとも生まれ落ちてから今まで、若旦那として育って来たんだから無理ないけどね。やっぱり、あんたには甘えがあるよ。いざという時は親が何とかしてくれるだろうってね」

「そんな事アねえよ」

「だって、そうだろ。今回だって何とかなるって軽い気持ちでおろくと付き合ったんだろ。あんたは江戸に行くって言ってたじゃないか。そのくせ、おろくに近づいた。最初から遊びだったんだろ。それが何だい、今頃、泣き言を言って。あんたよりもずっと、おろくの方が辛いんだよ。あんたにおろくの気持ちがわかるのかい」

「畜生、俺はどうしたらいいでえ」市太は頭を抱える。

「きっぱりとおろくの事は忘れる事さ」とおゆくはきつい事を言う。「それが一番いいだろうねえ」

「いや、俺は諦めねえ」

「強情だねえ。よっぽど、おろくがいいんだねえ。あたしもそれだけ惚れられてみたいよ」

 市太はおろくの事を思いながら酔い潰れた。夢の中か現実か、家がグラッと大揺れしたが、起きるのも面倒だった。もう、どうにでもなれと開き直っていた。

 その夜、祭りの前座を務める娘義太夫を決めるため、おなつ、おなべ、おきよの三人が競い合って、代表はおなつに決定した。おなつは大喜びだったが、市太が来ていないので寂しそうだった。
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