天明3年7月、浅間山が大噴火を起こし、鎌原村は火砕流にのまれて、500人近くの村人が亡くなりました
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21.六月二十八日
2007年11月25日(日) 12:51
21.六月二十八日




 しばらく、なりを静めていた浅間山がまた、活動し始めた。昨日、朝から日が暮れるまでゴロゴロ唸っていて、今日の昼は太い黒煙を吹き上げ、灰と砂を降らせた。観音堂では熊野の行者(ギョウジャ)、永泉坊(エイセンボウ)の祈祷(キトウ)が続き、市左衛門を初めとして信心深い村人たちが見守っていた。ところが、祈祷の甲斐もなく、夜の四つ(午後十時)より地鳴りが始まった。

 その時、市太は巴屋にいた。おろくと観音堂裏の若衆小屋で会って、送って行った後だった。巴屋には勘治と幸助がいて、昨日の続きを真剣に話し合っていた。

「おい、おろくと会ってたのか」とニヤニヤした顔付きの市太に勘治が声を掛けて来る。

「まあな」と市太はそっけなく答える。

「覚悟は決めたんだんべえな」

「何でえ、覚悟ってなア」

「決まってべえ。おろくと所帯(ショテエ)を持つ事さ」

「所帯を持つのはいいが、その後、どうすんでえ。俺がやる事はこの村にはねえ」

「今みてえに、おろくんちの畑仕事をしてりゃアいいだんべ」

「なに言ってやがる。そんなの毎日(メエンチ)できるわけがねえ」

「できるわけがねえって、できなけりゃア、おめえ、生きちゃア行けねえだんべ」

「ちょっと待てや。おめえ、何か勘違えしてねえか。俺がおろくんちに婿に入(ヘエ)るわけじゃねえ。俺がおろくを嫁に貰うんだ」

「なに寝ぼけた事言ってやんでえ、なあ」と勘治は幸助と顔を見合わせて笑う。「おめえの親がおろくを嫁に迎えると思ってんのか。おめえのおっ母は黒長(クロチョウ)の妹だぜ。兄貴の嫁さんだって、大笹の中屋(旅籠屋)の娘だんべ。ただの百姓の娘を嫁に迎えるわけがねえ。おめえがおろくと一緒になるには、おめえが親子の縁を切るしかねえんだよ」

「何だと、勘当(カンドウ)されるってえ事かい」

「そうさ。それだけの覚悟がいるってこった」

「まさか、そこまではするめえ」

「考えが甘えぜ。おめえんちは問屋なんだぜ。しかも代々、年寄役も務めてる。そんなうちが村の掟(オキテ)を破るなんて、できるわけがねえ。村の者に示しがつかなくなるからな」

「くそっ、勘当されたら、俺ア生きちゃアいられねえぜ」

「そうさ。毎日、朝から晩まで汗水流して働かにゃアならねえ。おろくと一緒になるってえのはそういう事だ」

「くそったれが‥‥‥おめえの方はどうなんでえ。おめえだって同じだんべ。勘当されてもおゆうと一緒になるのか」

「いや、俺は勘当されねえ。おゆうは草津の宮文(ミヤブン)の養女になって、俺んとこに嫁いで来るんだ」

「なに都合のいい事をいってやがる。そんなうまく行くかい」

「大丈夫だ。実際(ジッセエ)、おゆうは今、村にいねえ。村の者たちも、おゆうが草津に働きに出てる事ア知ってる。でも、半年経って、草津から嫁いで来りゃア、何だ、おゆうは養女になってたのかと村の者も納得する。肝心なのは、村の者におかしいじゃねえか、筋が違うんじゃねえかって思わせねえ事なんだよ」

「ふん、てめえはうめえ具合(グエエ)に行って、俺は勘当かよ」

「仕方ねえんだ。おめえが勘当されてまで、おろくと一緒になりゃア、他の奴らも覚悟を決めるってえもんだ。おきよだって、勘当されても幸助と一緒になるし、おめえの妹だって、勘当されても安と一緒になるってえもんだ。そうして、だんだんと掟を破って行って、しめえには掟なんかなくしちまうんだ」

「へっ、要するに俺アいけにえってえわけかい」

「そうだ。下らねえ掟を潰すためのいけにえだ。だがな、決して、無駄にはならねえぜ」

「畜生、毎日毎日、砂にまみれて畑仕事かよ」

「馬方だってできる」

「へっ、勘当されたうちに頭を下げて、馬方すんのか」

「おろくとずっと一緒にいられるんだぜ」

「市太、頼むぜ。俺たちのためにもよう。おめえが見本を見せりゃア、みんな、覚悟を決めるに違えねえ」

 幸助がそう言った時、家がグラッと揺れた。

「何でえ、また、お山が焼けたのかよう」

「大丈夫だんべえ。大した揺れじゃねえ」

 その後、小刻みな揺れが続いた。市太は家に帰り、横になってからも勘治が言った事を考えていた。ようやく、ウトウトしだした頃だった。雷が落ちたような物凄い音がして、寝ていた体が飛び上がる程の大揺れが起きた。

 市太は慌てて隣の部屋に声を掛けた。

「おい、大丈夫か」

「兄ちゃん、怖いよう」

「早く、外に出るんだ」

 市太は妹のおさやとおくらを両脇に抱えて外へと向かった。小揺れが始まった時、明かりはすべて消したので、家の中は真っ暗だ。囲炉裏の辺りから兄、庄蔵が叫んだ。

「早く、外に出ろ。市太、爺さんを頼むぞ」

 市太は二人の妹を中庭に出すと、すぐに離れにいる市左衛門の所に行った。声を掛けると、すでに市左衛門は縁側から外に出ていた。祖父を連れて中庭に戻ると皆、集まっている。廐(ウマヤ)の馬が脅(オビ)えて騒いでいた。叔父の弥左衛門が甥の五郎八を連れて廐に向かった。

「おめえたちは村を回って、火の用心を確かめて来い」

 父親に言われて、市太と庄蔵は表通りへ飛び出した。

 真っ暗の中、人々があちこちでざわめいている。馬のいななきと野良犬の鳴き声がやかましい。市太はおろくの事が心配になって来た。寝たきりの母親と盲目(モウモク)の兄、アホの三治を抱えて、無事に家から出られただろうか。俺はこっちに行くと言って、さっさとおろくの家に向かった。

 浅間山はゴーゴー唸り、大地の揺れは続いている。まるで、酔っ払っているかのように足元がおぼつかない。おまけに空から砂が降って来た。

「火の用心、火の用心」と叫びながら、市太はおろくの家に走った。惣八に声を掛けられ、惣八にも見回りを頼んだ。

「わかった」と言うと惣八は市太と反対の方に走って行った。

 おまんの家に行くつもりかと思ったが、他人の事まで構ってはいられない。おろくの家の前には誰もいなかった。

「おろく、大丈夫か」と叫びながら、市太は家の中に入って行く。暗くて、何も見えない。馬が騒いでいるだけで、声を掛けても返事はなかった。

「おい、若旦那か」と声を掛けられ、入り口の方を見ると男が立っている。

「誰だ」

「俺だ。半兵衛だ。みんな、裏庭の方にいる」

「おっ母も大丈夫なのか」

「ああ。俺がおぶって連れ出した」

「そうか。よかった」

 裏庭に行くと寝かされた母親の回りに皆が座り込んでいた。

「みんな、大丈夫か」と市太が聞くと、「ええ、大丈夫」とおろくは言った。

 脅えているのか、その声はやけに沈んでいる。誰もいなかったら、抱き締めてやりたいがそうもいかない。

「そうか、よかった」市太は一人うなづくと、「半兵衛、みんなを頼む。俺は一回りしてくらア」と通りの方に出た。

「火の用心、火の用心、みんな、大丈夫かア」とあちこちで叫んでいる。

 若衆組の者たちが見回りをしているようだ。市太も走り出した。浅間山の方を見上げると時折、雷のように光を放っている。その光によって、真っ黒な煙がモクモクと立ち昇っているのが見えた。まるで、地獄絵でも見ているような、何とも恐ろしい光景だった。このまま、この世が終わってしまうのではと思わせる不気味な眺めだった。

 火事も起こらず、怪我をした者も出なかった。大揺れは半時程で治まった。その代わり、降って来る砂の量が多くなって、外に出てはいられなくなった。皆、お山が静まる事を祈って家の中に戻った。

 市太は一旦、家に戻って菅笠(スゲガサ)を被り、おろくの家に向かった。家に入ると皆、不安な面持ちで囲炉裏端に座っていた。隣の半兵衛と姉のおくめの姿はない。甚左は相変わらずの仏頂面、甚太夫は市太の声を聞いて顔を上げたが、すぐにうつむく。三治もさっきの揺れが恐ろしかったと見えて、やけにおとなしい。松五郎は何か言いたそうな顔をしたが、父親を気にして何も言わない。おろくと母親の姿はなかった。

「まったく、ひでえ目に会った。また、砂が降って来やがった。畜生め、一体(イッテエ)、何の恨みがあるってえんでえ」

 松五郎がおろくは部屋の方だと顔で示した。市太はうなづいて上がり込んだ。

 おろくは真っ暗な自分の部屋にいた。

「もう明かりを付けても大丈夫だんべえ」

 市太は囲炉裏から火を貰おうと行燈(アンドン)を持って行こうとする。

「いえ、いいんです。明かりはつけないで」

「どうかしたのか。まあ、明かりなんかなくったって構わねえけどよ」

 市太はおろくの側に座って、おろくを抱き寄せようとする。

「若旦那、お話があります」とおろくは身を引いた。

「何でえ、改まって」

「あたし、もう、若旦那とは会えません」

「なに言ってるんでえ。とっつぁんから何か言われたのか。そんなの気にすんな」

「いいえ。もう、お会いできません」

「急に何を言ってんだよ。ついさっき、俺と一緒になるって言ったじゃねえか」

「でも、夢だったんです。若旦那と一緒になるなんて、所詮、夢だったんです」

「夢なんかじゃねえ。現実だ。俺はおめえと一緒になるって決めたんだ」

「ダメなんです。そんな事できません」

 おろくはずっと顔をそむけていた。暗くてよく見えないが泣いているようだった。

「どうしたんだ、急に。一体、何があったんだよう」

「何もありません。お願いです。もう、うちには来ないで下さい」

「まったく、何を言ってやがんでえ。だって、おめえ、おかしいじゃねえか。何だって、急に気が変わるんでえ。とっつぁんに何か言われたんだな。同じ権太をやった仲だ。俺の気持ちはわかってくれるだんべと思ってたのに、畜生。俺は諦めねえからな、絶対に、おめえと一緒になる。もう意地でもなってみせるぜ」

 市太はおろくの部屋から出て、囲炉裏端に行くと座り込んだ。腰から煙草入れを外すと、煙管(キセル)に煙草を詰め、囲炉裏の火で一服つけた。誰も何も言わなかった。屋根に当たる砂の音と馬がガサゴソ動く音、そして、家が小刻みに揺れた。煙を吐いて、吸い殻を囲炉裏の中に捨てると市太は甚左を見た。

「おろくが言った通りだ」と甚左は俯き、囲炉裏の火を見つめたまま言った。「もう二度とうちには来ねえでくれ」

「どうしてなんでえ」

「そんなのは若旦那もわかってるだんべ」

「俺にゃアわからねえ。今まで何も言わなかったのに、何でそんな事を急に言い出すんだ」

「今まで、おろくにゃア娘らしい事もしてやれなかった。うちに籠もりっきりで友達もいねえ。たまにはみんなと一緒に遊べと言っても、友達もいねえから、みんなの中に入(ヘエ)って行けねえ。そんな時、若旦那がおろくを誘ってくれて、おろくも喜んで芝居の稽古を見に行った。みんなと一緒になって楽しそうだった。おろくも娘らしくなってよかったと思ってたんだ。まさか、若旦那とおろくが村の噂にのぼるなんて夢にも思っていなかった。もう、これ以上は会っちゃアならねえ」

「噂になったって、そんな事アいいだんべ。言いてえ奴にゃア言わせとけばいいんだ」

「いや、ダメだ。若旦那がおろくを思う気持ちはわかる。おろくの方も若旦那に夢中だ。しかし、所詮、二人は一緒にはなれねえんだ。先になって泣きを見るより、今のうちに別れた方がいい」

「いや、俺は諦めねえ。たとえ、うちを勘当されたって、おろくと一緒になる」

「ダメだ。早まっちゃアいけねえ。そんな事をしたら、わしらは生きちゃアいられねえ」

「とっつぁん、何を言ってるんでえ」

「わしら馬方はな、問屋には逆らえねえんだ」甚左は吐き捨てるように言った。

「とっつぁん、もしかしたら、親父が来たんじゃねえのか。なっ、そうだんべ」

 甚左は何も言わなかった。市太は甚太夫と松五郎を見た。二人とも顔を背けている。三治を見ると、驚いたような顔して市太を見ていた。

「おい、松、親父が来たんだな」

 松五郎は首を振ったが、嘘を付いている顔付きだった。

「畜生、余計な事をしやがって」

 市太は凄い見幕(ケンマク)で、おろくの家を飛び出して行った。煙管と煙草入れ、被って来た菅笠も忘れていた。
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