天明3年7月、浅間山が大噴火を起こし、鎌原村は火砕流にのまれて、500人近くの村人が亡くなりました
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19.六月二十四日
2007年11月21日(水) 10:06
19.六月二十四日




 昨夜、おゆくに勧められて飲み過ぎた鉄蔵の具合が悪く、村を出たのは昼過ぎだった。

 狩宿まで送って行った市太と幸助が村に帰って来たのは、日もすっかり暮れて真っ暗になっていた。幸助と別れた市太は小宿(コヤド)村の知り合いから借りた提燈(チョウチン)をぶら下げて、真っすぐにおろくの家に向かった。おろくは首を長くして待っていた。市太が入り口で声を掛けるとすぐに出て来て、嬉しそうに笑った。

「大丈夫か」と聞くと、「大丈夫よ」と明るい声で言う。

 市太はおろくの手を取って、「お嬢様、今晩はどこに行きやしょう」

「市太郎様のお好きな所へなんなりと」

「今夜は星が降るようだ。観音堂へと参(メエ)りやしょう」

「あい」

 二人は寄り添いながら観音堂へと向かった。

「おかよさんはどうでした」

「もう見ちゃアいられねえや。強がっていながらも半分は泣きべそだ。たっぷり、別れを惜しめって置いて来た」

「やっぱりね。でも、一人で大丈夫かしら」

「なアに、村の者が年中、狩宿まで行ってる。誰かを捕めえて一緒に帰(ケエ)って来るだんべ」

「そうね。馬方してる人で、おかよさんを知らない人はいないもんね」

「そうさ。おかよに頼まれりゃア、鼻の下を伸ばして馬に乗せて帰って来らア」

「でも、鉄蔵さんもいなくなっちゃって、村も淋しくなるわね」

「そうだな。兄貴はいい奴だったよ」

「若旦那はまた会えるからいいじゃない」

「その若旦那ってえのはやめろって言ったろ」

「ごめんなさい、市太さん」

「江戸には行きてえが、おめえと別れがたくなって来たぜ。おめえと一緒に行けりゃア文句なしなんだがな」

「あたしはダメです。うちの者を放っては行けないもの」

「桔梗屋の姉さんじゃねえが、早いとこ、おめえの兄貴の嫁さんを捜さなくちゃアな」

「難しいわ。兄さん、目が見えないんだもの」

「目が見えなくたって、立派なお師匠じゃねえか。本も読めねえのに浄瑠璃をすっかり覚えちまうなんて、ほんとに大(テエ)したもんだぜ。すげえと思うよ」

「兄さんはいいけど、寝たきりの母ちゃんに、手に負えない叔父さんもいるもの。無理よ」

「そう簡単に無理なんて言うなよ。無理かどうかやってみなけりゃわからねえ。捜せばいるかもしれねえよ」

 二人は石段を昇って、観音堂に着くと空を見上げた。まさしく、降るような星空だった。

「あたしね、いつもお星様にお願いをしてたのよ」夜空を見上げたまま、おろくが言った。

「どんな願いだ」と市太はおろくの横顔に聞いた。

「母ちゃんが起きられるようになりますように。兄さんの目が見えますように。叔父さんがまともになれますようにって」

「自分の事ア願わねえのか」

「あたしの事なんか諦めてたもの」

「それがよくねえんだよ。おめえはすぐに諦める。諦めてちゃア何も始まらねえ」

「だって‥‥‥ほんとは若旦那、いいえ、市太さんとこうなるように願ってたわ。まさか、かなうなんて思ってもいなかったけど」

「俺だって、おめえとこうなりてえと願ってた。かなうなんて思ってもいなかったさ」

「嘘ばっかり」

「ほんとさ。おめえが俺なんか相手にしてくれねえと思ったもんさ」

「そんな事ないよ」

「だって、おめえ、なかなか、うちから出てくれなかったじゃねえか」

「あの時は怖かったの。市太さんがあたしに声を掛けてくれるなんて信じられなかったし、あたしをからかって、みんなであたしの事を笑ってるんだろうって思ったのよ」

「なんだ、おめえ、そんな事、思ってたのか」

「そう。怖かったの」

「それで、あんなにおどおどしてたんだな」

「そうよ。いつ、みんなに笑われるかと思って」

「つまらねえ事を考えやがる」

「だって、信じられなかったんだもの。今でも信じられない。みんなと一緒に、お酒を飲んだり、一緒に騒いだり‥‥‥ほんとはあたし、みんな、死んじゃえばいいって願った事もあるわ」

「みんなって家族がか」

「そう。母ちゃんも父ちゃんも、叔父さんも兄さんも、姉さんも弟の松も、みんな、死んじゃえばいいって‥‥‥みんながいなくなれば、あたしは好きな事ができるのにって」

「おめえがそんな事を考えるたア見直したぜ」

「なに、それ」

「じっと我慢してるだけじゃア、ダメさ。たまには怒らなけりゃアな。俺なんか、うるせえ親父と兄貴なんか死んじまえって年中、思ってらア。兄貴がいなくなりゃア、うちを継げるからな。なにも村を出る事もねえ」

「ほんとは村を出たくないのね」

「おめえと別れてまで出たかアねえよ。かと言って、村に残ってもやる事がねえ」

「やっぱり、江戸に行くのね」

「芝居(シベエ)が終わったら、行く事になるだんべ」

「そう‥‥‥」

「今頃、兄貴とおかよもこうやって星を見てるかな」

「そうね」

 市太がおろくを抱き寄せようとした時、突然、後ろから声が掛かった。

「ねえ、若旦那なの」

 二人はビクッとして振り向いた。声の主はおゆくだった。

「何だ、姉さんか。脅かさねえでくれ。こんなとこで何してんだ」

「よかった」とおゆくはホッとして胸を撫でた。「若旦那とおろくちゃんなら大丈夫ね」

「何が大丈夫なんでえ」

「ちょっと来てよ」

 おゆくに連れられて若衆小屋に行くと、小屋の中に錦渓(キンケイ)がいた。

「先生」と市太は思わず叫んだ。

「おい、声がでけえぞ」と錦渓は人差し指を立てて口に当てた。

 市太は回りを見回して、誰もいない事を確認してから、「先生、一体(イッテエ)、どうしたんです。江戸に帰(ケエ)ったんじゃねえんですかい」と小声で聞いた。

「村を追い出されたからって、何も持たずにノコノコ江戸には帰れねえ。帰った振りして、隠れて明礬(ミョウバン)捜しをしてたのさ」

「村の者に見つかったら半殺しにされますよ」

「だからこうして隠れてるんじゃねえか」

「隠れるったって、ここは危ねえ。若え者が逢い引きに使ってんだ。俺たちだったからよかったものの、他の奴に見つかりゃア、すぐに村の者に知れちまう」

「それはわかってたけどさ」とおゆくが言う。「まさか、店ん中で会うわけにゃアいかないだろ。それで、ここに来たんだけど、どっか、いい隠れ家はないもんかねえ」

「急に言われてもなア」

「なに、ちょっと二人で会えりゃアいいんだ。わしは今、山ん中の炭焼き小屋に隠れてる」

「今の時期、炭焼き小屋は大丈夫(デエジョブ)だと思うけど、気を付けた方がいいですよ。誰かに見つかっちまったら、八蔵の奴、山狩りをするって言い出すかもしれねえ」

「わかってる。充分に気を付けるさ」

「先生、まず、その格好を変えた方がいいんじゃねえですか」と市太は言う。

「なに、格好を変えるのか」

 錦渓は自分の着物を見回した。確かに市太の言う通り、浪人姿は江戸でこそ目立たないが、こんな田舎では目立ってしまう。

「それじゃア、すぐに先生だってわかっちまう。馬方の格好がいい。馬方なら、どこにでもいる。ちょっと見ただけじゃアわからねえ」

「そうねえ、それはいい考えよ」とおゆくも納得。

「俺がちょっくら、うちから持ってくらア。先生、ちょっと待っててくんねえ」

 市太は家に行こうとして振り返り、おろくに声を掛ける。

「おめえ、どうする。まだ、大丈夫か」

「えっ、そうね、大丈夫だと思うけど」

「お父さんがうるさいんでしょ。今日は帰った方がいいわよ。また明日、会えるんだし」

 おゆくが言うと、おろくは市太を見つめてうなづいた。

 市太はおろくを送ってから家に帰り、筒袖(ツツソデ)に股引(モモヒキ)、橘屋の印半纏(シルシバンテン)に草鞋(ワラジ)を持ち出した。今日は芝居の稽古もないので、通りはひっそりと静まり返っている。誰にも会わずに観音堂に戻ると、錦渓に馬方の衣装を差し出す。錦渓は素早く着替えた。

「どうだ。馬方に見えるか」と錦渓は聞くが、何かが違う。

「頭が違うのよ」とおゆくが言った。

 錦渓は師匠の源内を真似て総髪(ソウハツ)に髷(マゲ)を結っていた。やはり、月代(サカヤキ)を剃らなければサマにならない。今度はおゆくが剃刀(カミソリ)を取りに帰った。おゆくがいなくなると、市太は鉄蔵が江戸に帰った事を教えた。

「そうか。奴も帰(ケエ)ったか‥‥‥惣八の奴はどうした」

「まだ、蔵ん中です」

「奴も調子に乗り過ぎたな。一度でやめときゃアいいのに」

「一度でやめときゃアいいって、そりゃ、どういうこってす」

「何だ、おめえ、知らねえのか。惣八の奴、捕まる四、五日前、おまんをものにしたって喜んでたぜ」

「そいつア、ほんとですか」

「ほんとさ。おめえに言ってなかったのか」

「そんな事、一言も聞いてねえ」

 捕まる四、五日前と言えば、鉄蔵が大笹から鎌原に帰って来た頃だった。その晩、芝居の稽古があって、終わった後、おかよの店で鉄蔵の帰りを祝って、みんなで飲んだ。惣八は何をしていたのか、遅くになってから店に現れた。何も言わなかったが、あの時、おまんと会っていたのだろうか。

「奴は本気だったのかもしれねえな」と錦渓が言った。「本気でおまんに惚れちまったんだろう。だから、おめえには言えなかった。どうせ、惣八は遊びのつもりで、おまんをものしてやるとか言ってたんだろう。遊びなら一発やりゃアそれでおしめえだ。未練を持つなんて野暮(ヤボ)ってもんだ‥‥‥それで、おまんの方はどうなった。離縁されたのか」

 市太は首を振った。「元の鞘(サヤ)に戻ったようで」

「そうか。惣八の筋書き通りには行かなかったか」

「惣八の筋書きは離縁だったんですか」

「そりゃそうだろう。離縁になりゃア、一緒になれるからな」

「あの馬鹿が、何を考えてやがるんだ」

「おめえも惣八の事が言えるか。江戸に行くって言いながら、おろくとよろしくやってるじゃねえか。まあ、そういうわしも他人(ヒト)の事をとやかく言える義理じゃねえがな‥‥‥ほんと言うとな、明礬なんかどうでもいいんだ。さっさと江戸に帰ろうと思ったんだが、突然、追い出されちまったからな、おゆくの奴とちゃんとした別れってえのをしてねえ事に気づいたんだ。それで、こうして戻って来たんだよ」

「何だって? それじゃア、姉さんに会うためにわざわざ、危ねえとこに戻って来たって言うんですか」

「まあ、そういうこった。ところが、面と向かったら、だらしねえ事に言えなくなっちまってな、このザマだ。マゴマゴしてたら月代まで剃られちまう。おい、何とかしてくれ」

「まったく、先生も何やってんでえ」と市太は笑い転げる。

「笑い事じゃねえ」

「で、先生は姉さんとどうしてえんです」

「まあ、早え話があれだよ」

「抱きてえんですか」

「まあ、早く言えばな」

「そんなら簡単じゃねえですか。二人で大笹でも行って旅籠(ハタゴ)に泊まりゃアいいだんべ」

「おお、そうか。大笹には結構、立派な旅籠屋があったっけな。大笹までなら一時(イットキ)もありゃア行ける。しかし、今からじゃア遅えだろ」

「大丈夫ですよ。あそこの問屋は俺の親戚ですから、俺の名前を言って、おみのってえ娘に頼めば何とかしてくれますよ」

「おう、そうか。そいつはありがてえ」

「姉さんが来たら、余計な事は言わねえで、さっさと大笹に行った方がいいですよ。姉さん、先生がいなくなってから毎晩、大荒れなんだから」

「そうか。おゆくは大荒れだったか。そいつア大変だったなア」

「大変なんてもんじゃねえ。大迷惑だった」

「そうか、そうか」と錦渓は急に御機嫌な顔をしてうなづいている。

 剃刀と水を持って来たおゆくに錦渓は、「これからすぐ、大笹に行く事になった。一緒に行けるか」と誘う。

「えっ」とおゆくは何の事かわからず、市太を見る。

「二人で相談して、大笹に腰を落ち着けて、明礬捜しをすりゃアいいって事になったんだ」

「あっ、そうか」とおゆくもうなづく。「何もこの村にこだわらなくてもよかったんだ。そうよ、大笹に行けばいいんじゃない」

「それで、先生はどうしても、姉さんと一緒に行きてえんだそうだ」

「えっ、そりゃまあ、あたしは構わないけど」

「よし、話は決まった」

「でも、このままじゃア、うちの者に一言、言ってかないと」

「俺がうめえ事言ってやるから、早く行きなよ。姉さんだって、会いたくてしょうがなかったんだんべ」

「やだよ、若旦那ったら。それじゃア、これ、お願いね」

 おゆくは剃刀と水の入ったとっくりを市太に渡すと、錦渓の腕を取って提燈をぶら下げ、いそいそと石段を降りて行った。

「くそっ、とんだ馬鹿見た。こんな事なら、土蔵ん中にしけこみゃアよかったぜ」

 市太は仕方なく桔梗屋に顔を出して、おゆくが急用ができて大笹に出掛けた事を告げると、家に帰って小便をして寝た。
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