天明3年7月、浅間山が大噴火を起こし、鎌原村は火砕流にのまれて、500人近くの村人が亡くなりました
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17.六月二十一日
2007年11月17日(土) 12:02
17.六月二十一日




 浅間山が焼け、石が降って来て、山守のとっつぁんが死に、錦渓先生は追い出された。

 次の日は大笹の市祭りだった。今年の村芝居は『菅原伝授手習鑑(スガワラデンジュテナライカガミ)』、市太はおろくを誘い、おろくも一緒に行くと言ってくれた。楽しみにしていたのに、村に不幸があったのに遊んではいられないと断られてしまった。

 芝居好きな村人たちも葬式を放っては行けないと諦め、勘治も安治も行けないと言う。仕方なく、鉄蔵とおかよを連れて大笹の芝居を見に行った。

 大笹に着くと藤次がすぐに現れて、市太たちを歓迎してくれた。やけにニヤニヤしている。

 おみのとうまく行ってるのかと聞くと、「まあな」ととぼけて、祭りの準備が大変だったと愚痴(グチ)をこぼす。鎌原に石が降った時、大笹にも降って、二、三寸も積もったという。

「祭りも近えのによう、まったく、まいったぜ。まあ、何とか無事に漕(コ)ぎ着けたがな」

 露店を冷やかしながら黒長の家に行くとおみのが珍しく、女の格好をして待っていた。髪もちゃんと島田に結って、市太の江戸土産の銀の簪(カンザシ)を差し、浴衣(ユカタ)姿が色っぽい。鉄蔵は目を丸くして驚き、さっそく、その姿を絵に写し始めた。

「どうしたんでえ。おめえ、頭がおかしくなったのか」と市太が冷やかすと、

「そうさ。この前、お山から降って来た石に当たってねえ。ちっと、いかれちまったのさ」といつもの口調で言って笑った。

「ほう。そいつアとんだ災難だったな。ついでだから、ずっと、いかれてろよ。その方がおめえの親父も喜ぶだんべ」

「ふん、そうは行かないよ。こんな窮屈(キュウクツ)な格好すんのは今日だけさ。年に一度の事だからね、たっぷりと拝んでおきな」

「その姿、藤次の奴にも見せたのか」

「何だって? 何で、いちいち、あんな奴に見せなきゃならないんだい」

 そうは言っても、顔はほんのり赤くなっている。おみのにもようやく遅い春がやって来たらしい。二人の行く先にはいくつもの険しい山が立ち塞(フサ)がっているだろうが、おみのなら何とか乗り越えそうだ。

 女らしくなったおみのと一緒に芝居を見て、おみのの手作りの弁当を食べて、酒を飲み、鉄蔵とおかよは大喜びだったが、相手のいない市太はちっとも面白くない。芝居が終わると二人を置いて、さっさと村に帰って来た。

 すでに、五つ(午後八時)を回って、村はひっそりと静まっている。山守の葬式も無事に終わったらしい。おみのから貰った珍しいお菓子を持って、市太はおろくを訪ねた。

 父親の甚左は山守の葬式の手伝いに行ったまま、まだ帰らない。母親も叔父の三治も、もう寝たので、少しだけなら出られるという。

 市太はおろくを誘って観音堂に登った。空は曇って月も星も出ていない。提燈(チョウチン)の明かりを頼りに薄暗い石段を二人は寄り添いながら登って行った。観音堂にも裏にある若衆小屋にも誰もいなかった。

 市太は若衆小屋の縁側におろくを誘った。

「今日はごめんなさい」とおろくは謝った。

「そう、何度も謝るな。もういいよ」

「一緒に行きたかった。でも、言い出せなかったんです。山守のおじさんが亡くなったから行けなくなったっていうのは嘘なんです。どうしても、言い出せなかったんです」

「もういいよ。おめえが一日(イチンチ)、うちを明けるとなりゃア大変(テエヘン)だ。誰か、おめえの代わりをする奴がいなけりゃならねえからな。そこまで考えが及ばなかった俺も悪かったんだ」

 気詰まりな沈黙が流れた。ガサガサッと音がして、鳥が鳴きながら飛び立って行った。

「そういやア、おめえの父ちゃんと山守のとっつぁんは仲がよかったんだっけな」

「ええ、飲み友達だったんです。うちにもよく来て、一緒に飲んでました。若い頃は一緒に悪さをしてたみたい」

「あの二人が若かった頃ってえのは、とても想像できねえな」

「そうね‥‥‥あの、お芝居はどうでした」

「ああ、面白かったよ。『菅原伝授手習鑑』ってえんだけど知ってるか」

「兄がお稽古してるのを聞いた事あります」

「そん中の『寺子屋』だ。喧嘩相手なんだが、藤次ってえ奴がいてな、松王丸をうまく演じていやがった。大笹の連中も結構やるぜ。だが、奴らには絶対負けられねえ。後(ノチ)の語り草になるような権太を演じてみせる」

「若旦那なら大丈夫ですよ。父ちゃんも若旦那ならうまくやるだんべって言ってました」

「そうか。でも、おめえの父ちゃんがやったんは『鮨屋(スシヤ)』だったからな。『椎(シイ)の木』の権太はまだ、ちょい役のようなもんだ。来年の『鮨屋』をやりたかったんだけどな、もう、いいや。あと一年も我慢できねえ」

「お芝居が終わったら、ほんとに江戸に行っちゃうんですか」

「ああ、そのつもりさ。この村にいても俺のやる事は何もねえんだよ」

「あと一月ちょっとしかないんですね」

「なあ、おめえも一緒に行かねえか」

「えっ」

「冗談だよ。いや、本心かもしれねえ。もし、俺が身を固めるとすりゃア、おめえしかいねえのかもしれねえな」

「そんな、あたしなんか‥‥‥」

「おめえ、ガキの頃、俺がやった鈴をまだ持ってんだってな」

「えっ、松が言ったんですね。まったく、あの子ったら‥‥‥あたし、ほんとは若旦那と一緒にどこまでも行きたい。でも‥‥‥」

「いいんだ」

 市太はそっとおろくを抱き締めた。そして、おろくの口を吸った。おろくは拒まなかった。市太はおろくを抱き上げると若衆小屋の中に入って行った。

 四半時(シハントキ、三十分)がゆっくりと流れた。二人が小屋から出て来た時、下弦(カゲン)の月が顔を出していた。おろくは恥ずかしそうに顔を伏せて、もつれ髪を撫で上げた。

「もう帰らなくちゃ」

「そうだな」

 市太はおろくを送って行った。そのまま、うちに帰る気にはならなかった。惣八は土蔵に閉じ込められたままだし、鉄蔵とおかよは帰って来ないだろう。市太は桔梗屋へと足を向けた。

 安治がおゆくと二人だけで、しんみりと酒を飲んでいた。市太がのっそりと顔を出すと、

「あれ、大笹泊まりじゃなかったのか」と安治が驚いた。

 市太は手を振りながら腰を下ろす。

「兄貴とおかよに、たっぷりと見せつけられてな、一人じゃア面白くもねえんで帰って来たんさ」

「おろくは行かなかったのか」

「ああ、今朝んなって断られたよ」

「若旦那を振るたア、あの娘も大したもんだねえ」とおゆくが市太の顔を見て、ケラケラ笑う。

「いや、振られたわけじゃねえ」と言いながら、市太もつい笑ってしまう。

「何でえ、やけに嬉しそうじゃねえか。向こうで何かあったのか」

「何にもねえさ」市太は嬉しさを押し殺して話題を変える。「それより、先生が突然、あんな風になっちまって、姉さんも淋しいだんべ」

「あら、わざわざ、慰めに来てくれたの。嬉しいねえ」

「そうさ。姉さんが酔っ払うと手に負えねえからな。介抱してやろうと思ってよう」

「それはどうも御親切様なこって」

「でも、安とうまくやってたようだ。俺の出番はねえらしい」

「なに言ってんでえ。俺はただ、先生の事を姉さんと話してただけだ」

「冗談だ。そうむきになるなよ。それにしても、石をぶつけられて追い出されるたアなア」

「まったく、先生が可哀想だよ。先生の明礬捜しとお山焼けがどう関係あるってえのさ。そんなのちゃんと考えりゃアわかりきった事だろ。まったく、情けないよ、あたしゃア、あんな人たちと一緒に暮らしてたなんて‥‥‥」おゆくは急に泣き出した。

 市太と安治が慰めるが、声を出して泣き続ける。突然、「畜生!」とわめいて、酒をあおると涙を拭いて無理に笑う。

「あ〜あ、もう、こんな村なんかにいたくない。あたし、先生を追って江戸に行こうかな。ねえ、若旦那、あんた、先生んち、知ってんだろ。ねえ、あたしを連れてってよ」

「姉さんと一緒に江戸に行くのか」

「あたしとじゃア、やだってえの」

「そうじゃねえけどよ。色っぺえ姉さんと一緒に旅すりゃア間違えを起こしそうだぜ」

「それだっていいじゃないさ」

「まあな」

「よーし、今晩はとことん飲むわよ」

「おう。付き合うぜ」

 おゆくはフラフラした足取りで立ち上がるとお勝手の方に消えた。

「おい、もうかなり飲んでんじゃねえのか」

 市太が聞くと安治はうなづいた。

「俺が夕方、顔を出した時にゃア、もう一人でやってたよ。俺が来てからだって、グイグイ飲んでる。もう一升は飲んでんじゃねえのか」

「だんべえな」

「あんなに酔っ払ったの見た事ねえけど、姉さんは底無しなのか」

「まあ、それに近えな」

「なあ、俺、もう帰ってもいいだんべ」

「何でえ、もう帰るのか」

「ちょっと、先生の事を話そうと思って来ただけなんだ。それが姉さんの愚痴に付き合わされて、帰るに帰れなくなっちまった。後はおめえに任せる」

「そいつはねえぜ。二人だけになったら、どうなるかわからねえ」

「そんな事言ったってよう、俺はもう限界だ。これ以上は飲めねえや」

 安治が逃げようとするのを市太は袖を引っ張って引き留める。

「もうちっと付き合ってくれよ。そうだ、後でおさやといい思いができるように取り持ってやるからよう」

「えっ、そいつアほんとか」

「ああ、おさやの奴もおめえの事を嫌えじゃアねえそうだ」

「ほんとかい」

「ああ、ほんとだとも」

「それなら、もう少し付き合うぜ」安治は嬉しそうな顔して腰を落ち着ける。

 一升どっくりを抱えて、おゆくが戻って来た。

「今晩は飲み明かすぞ」と言って、三つの湯飲みの中に酒を注ぎ始めた。

「姉さん、今度は冷やで行くのかい」

「いちいち燗(カン)なんかしてられるかい。面倒臭え」

 安治は顔をしかめる。

「遠慮なしに飲んどくれ。今夜はあたしの奢(オゴ)りだよ」

「遠慮なくいただくぜ」と市太はグイッと飲む。「おっ、こいつアうめえや。いつもの奴と違うな」

「そうさ。お江戸のお酒だよ。先生があたしのためにわざわざ、送ってよこしたのさ」

「ほう、そうだったのかい」

「祭りん時、みんなで飲もうと思ってたんだけどね、もう、先生はいないし、先生を追い出した奴らに飲ませる事もないからねえ、口を明けちまったんだよ。まだ、たっぷりあるからね、遠慮はいらないよ」

 安治も一口、飲んでみる。

「おう、確かにうめえや。最初(ハナ)っから、こいつを出してくれりゃアよかったのに」

「忘れてたんだよ。お江戸の話になって、急に思い出したのさ」

「こいつア四方(ヨモ)の滝水(タキスイ)って銘酒じゃねえのか」と市太は吉原で聞いた酒の名を思い出して言う。

「何だか知らないけどね。お江戸の銘酒さ。さすが、お江戸だ。うまいじゃないか」

 おゆくはグイグイ冷や酒を飲み続けて、錦渓の思い出話を始めた。

 安治は途中で酔い潰れてしまい、おゆくもロレツが回らなくなって来た。

 市太はおゆくの機嫌を取りながら、部屋まで連れて行った。おゆくの叔母がまだ起きていたので、後の事を頼んで、安治を起こして連れ帰った。
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