天明3年7月、浅間山が大噴火を起こし、鎌原村は火砕流にのまれて、500人近くの村人が亡くなりました
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15.六月十七日
2007年11月13日(火) 13:38
15.六月十七日




 舞台の上で、権太役の市太が、路考の演じる若葉の内侍(ナイシ)、おなつの弟、五郎の演じる若君、栄次の演じる小金吾(コキンゴ)を見送り、だまし取った二十両を懐(フトコロ)に入れて逃げようとする。そこに権太の女房、小せんを演じる江戸屋の伜、伊勢松が子役の善太の手を引き登場。

「これ、権太どの、こなさん、どこへ行かしゃんす」

「おお、小せんか。わりゃア店を明けて、どこへ行った」

「あい、わたしゃ旅人のお頼みで、坂本へ薬を買いに行ったわいな」

「そりゃ丁度よかった。われがいたら、また邪魔をしように」

『言う胸倉(ムナグラ)を取って引き据え』とチョボが入り、小せんの台詞が続く。

「これ、こなさんに騙(カタ)りさそうというて、はずしていぬぞや。最前、戻りかかったところに、わっぱさっぱ差し出たら、騙りの正銘(ショウメイ)あらわれ、どんな事になろうも知れぬと、あの松陰から聞いていたわいな。ええ、こなさんは恐ろしい企(タク)みする人じゃのう‥‥‥」

 そこで伊勢松は台詞に詰まってしまった。市太はイライラしながら、小声で、「姿は産めども」と教えてやる。

 伊勢松は思い出して、「姿は産めども心は産まぬと、親御は釣瓶鮨屋(ツルベスシヤ)の弥助の弥左衛門様というて」

 その時、ゴロゴロゴロと石臼(イシウス)を回すような音がして、舞台が揺れた。

「何だ。畜生め、また、お山が焼けたのか」と市太は浅間山の方を見るが、樹木が邪魔してお山は見えない。

 舞台の揺れは益々ひどくなり、立ってもいられない。みんなが慌てて明かりを消す。

「危ねえ。みんな、こっから降りろ」とお頭の杢兵衛が叫んだ。下座の大人たちも楽器を抱えて慌てて舞台から降りる。

 市太は舞台から飛び降りると、稽古を見ていたおろくのもとへと急ぎ行く。おろくと一緒に鉄蔵とおかよ、勘治もいる。少し離れて、市太の妹のおさやがおみや、安治、仙之助と一緒にいる。皆、不安な顔付きで座り込んでいた。

「また始まったな」と絵を描いていた鉄蔵は筆をしまう。

「まったく、いつになったら治まるんでえ」文句を言いながら市太はおろくの隣に行く。

「ほんと、いやねえ、もう」とおかよが顔をしかめる。

「あたし、帰らないと」おろくが心配顔で市太に言う。

「そうだな」と市太はうなづく。

「若旦那、ちゃんと送ってやりなさいよ」とおかよが声を掛ける。

「おーい、みんな、今晩の稽古はこれで終わりだア」と杢兵衛が叫んで、皆、ゾロゾロと帰って行く。

 もう少し一緒にいてえが仕方がねえと市太はおろくを家まで送って行く。地面の揺れは治まらず、真っすぐ歩くのも一苦労。おろくは市太の腕につかまり、これ幸いと市太はおろくの肩を抱き寄せ、恋の道行(ミチユキ)と洒落(シャレ)る。

 昼間はずっと雨降りだったが、日暮れにはやんで、おぼろな月が顔を出している。月明かりの下、寄り添って歩くのはいいが、馬のいななきが方々から聞こえて来てやかましい。

 諏訪の森を抜けて表通りに出ると家から飛び出した者たちが、あっちに固まり、こっちに固まり、お山の方を見ながら冴えない顔を突き合わせている。おろくは素早く、市太から離れた。

「もう大丈夫です。ありがとうございました」

「なに、うちまで送ってくよ」

「でも、村の人たちに見られます」

「見られたっていいじゃねえか。それとも、俺のようなゴロツキと一緒じゃ、うまくねえか」

「そんな‥‥‥」

「地鳴りの道行はもうおしめえか」と鉄蔵が後ろから声を掛けた。

 鉄蔵とおかよも仲良く寄り添っている。

「見物が多すぎるとよ」

「こいつアすげえ。すぐに噂になっちまうな」

「あれ、何だろう」とおかよが北の方を見る。

 人だかりがして、何やら騒いでいる。

「また金四郎の馬鹿が嚊(カカア)と一緒に素っ裸で飛び出したんじゃねえのか」

「もっと向こうのようよ。ねえ、鉄つぁん、ちょっと行って見ましょうよ」

 おかよに引かれて鉄蔵は騒ぎを見に行った。

 市太はおろくを送るため、反対方向へと行く。ようやく、揺れも静まって、人々は安心して家の中へと戻って行く。真っ暗だった家々からも明かりが漏れて来た。

 市太とおろくは近からず遠からずの距離を保ちながら歩く。市太の家の前にはもう誰もいない。浅間山を見ようと観音堂へ登って行く者が何人かいた。観音堂への通りを過ぎると表通りにはもう人影はない。おろくの家からは明かりが漏れ、ひっそりとしていた。

「どうやら、みんな、無事のようだぜ」

「わざわざ、すみません」

「いちいち謝る事アねえ。それより、今日は台詞の間違えはなかったんべ」

「はい。見事でした」とおろくはうなづく。

 芝居の事など何も知らないだろうと思っていたおろくは『義経千本桜』を初めから終わりまで、すっかり暗記していた。市太が権太をやると決まった時から、兄から教わって、すべてを覚えたのだという。兄に似て記憶力は物凄い。権太の台詞もすべて知っていた。

「また、明後日(アサッテ)、迎えに来るからな」

「はい」

「ほんとは毎晩、会いてえんだが、まあ、我慢するか」

「あたしなんかと一緒にいたら、おなつさんが」

「おなつなんか、どうでもいいんだよ」

「そんな‥‥‥」

「それじゃアな」

 市太は手を振るとおろくと別れた。おろくは市太の後ろ姿をしばらく見送っていたが、溜め息をつくと家の中に入った。

 ようやく、杖(ツエ)をつけば歩けるようになった父親と兄が囲炉裏端にいた。弟の松五郎は叔父の部屋にいるらしい。おろくが芝居の稽古を見に行けるのも松五郎が叔父の面倒を引き受けてくれたからだった。松五郎はおろくが市太と付き合うのに文句なく賛成だが、父親はそうじゃない。今の所、口では言わないが、身分が違い過ぎると心の中では反対しているに違いない。おろくもその事は充分、承知している。かなわぬ恋と知りながらも、少し位は人並みに恋に焦がれてみたかった。しかも、相手は子供の頃から憧れていた市太、いつも、仲間に囲まれて楽しそうにしている姿を遠くから眺め、諦めていたのに、どうした訳か、市太の方から近づいて来た。毎日が、まるで夢のように楽しい。その夢もいつか終わるのはわかっている。多分、父親の口から、その事を言われれば、その時が終わりになるのだろう。まだ、その事を言わないでと祈りながら、おろくは父親の顔を見た。

「また、お山の鬼が騒ぎ出したな」と父親は言った。

「はい。お芝居のお稽古も中止になりました」

「そうか。たまには若え者たちと一緒に騒ぐのもいいさ。おめえには苦労の掛けっ通しだからな」

「父ちゃん、ありがとう」

「いや、いいんだ‥‥‥」

 父親は何か言いたそうだったが何も言わなかった。おろくはホッとして母親の具合を見に行った。

 市太が巴屋を覗くと鉄蔵とおかよはまだ帰っていなかった。客もいなくて、奥のお勝手で、おかよの兄嫁おべんが割れた食器を片付けている。

「あら、若旦那、おかよは一緒じゃないの」

「ああ、途中で別れたんだ。もう、帰ってるかと思ったんだが」

「まったく、まいったよ。棚から落ちて、みんな割れちゃったのよ」

「そいつは気の毒なこった」

「まったく、いやんなっちゃうよ。突然だもんね。こう揺れが続くようだと考えなくちゃならないわ。若旦那んとこは大丈夫だったの」

「さあな。あれだけ揺れりゃア、うちも何かが落っこちたんべえ」

「もう揺れないかねえ」

「そいつアわからねえが、少しは治まったようだ。姉さん、酒を頼まア」

「はいよ」

 市太が座敷に上がり込もうとした時、安治が駈け込んで来た。

「やっぱり、ここか。市太、大変(テエヘン)なんだ」

「なにうろたえてんだ。大揺れはとっくに治まったぜ」

「そうじゃねんだよ。惣八の奴がとうとうやっちまいやがった」

「惣八が? 奴が何をやったってえんでえ」

「おまんだよ。惣八とおまんがちちくり合ってるとこを見つかっちまったんだ」

「何だと」

「何だって、おまんさんてえのは八兵衛さんのおかみさんの事かい」とおべんも驚いて、お勝手から出て来た。

「そうなんだ。八兵衛はまだ帰らねえんだけど、近所の者(モン)が集まって、もう大騒ぎさ」

「あの野郎、ドジをしやがって」

「とにかく、一緒に来てくれや」

 市太は走りながら、詳しい事情を聞いた。

 惣八は今晩の芝居の稽古に出ていた。駕籠かき役の惣八は初めの方にチョコッと出るだけなので出番が済むと、すぐにおまんの家に行ったらしい。八兵衛が出掛けたのを知っていて、思いを遂げる絶好の機会だと思ったに違いない。しかし、皮肉にも、二人がちちくり合っている時、大揺れが来た。発見者は路考だった。路考は若葉の内侍の役で舞台にいた。大揺れが起きると衣装の事を心配して、おまんの家へと急いだ。驚いた村人たちが家の明かりを消して、通りに飛び出しているのに、おまんの姿は見当たらない。家の中は真っ暗、路考は家の中に声を掛けた。返事はないが、人のいる気配はする。縁側の方に回って障子を明けると、差し込んだ月明かりの下に見えたのは、おまんの解かれた帯と酒を飲んでいたらしいお膳、慌てて着物を直している惣八の姿、そして、部屋の隅に乱れ髪のおまんが虚ろな目をして丸くなっていた。

 路考は驚いて騒ぎ出す。すぐに近所の者たちが集まって来て大騒ぎとなった。

 市太が行った時には、惣八の父親がすでに来ていた。近所の男衆に殴られたのか、父親に殴られたのか、惣八の顔は腫れて血まみれになっている。おまんは青ざめた顔をしてうなだれ、兄の杢兵衛とその妻おすみが見守っていた。

 惣八の父親が村の衆に謝って、皆に引き取ってもらった。市太たちも追い返され、仕方なく、鉄蔵たちと一緒に引き返した。やじ馬の中に、おなべとおなつの姿もあった。泣きそうな顔したおなべをおなつが慰めている。二人は市太たちに声も掛けずに去って行った。

「惣八め、とんだ事をやっちまった」おまんの家を振り返りながら市太が言う。

「どうなっちまうんだんべえ」と安治が心配する。「それにしても、ほんとにやっちまったんだんべか」

「そいつは本人に聞かなきゃわからねえ」

「おまんさんがそんな事するとは思えないわ」とおかよは否定する。

「しかしなア、路考の話だと、おまんは帯を解いてたって言うぜ」

「自分で解いたのかしら」

「そうじゃなきゃア、惣八が力づくで解いたかだ」

「八兵衛が帰って来りゃア、惣八の奴、ただじゃア済まねえぞ」

 その後、何度か小さな揺れがあった。市太たちはおかよの店で、惣八の事を心配しながら遅くまで飲んでいた。

 四つ(午後十時)を過ぎた頃、惣八が父親と一緒に巴屋の前を通って家に帰って行った。市太たちが見ているのに気づいて、情けない顔をチラッと向けた。八兵衛が帰って来て、話がついたのか、うなだれたままトボトボと歩いて行った。

 惣八が帰るのを見送ると、お開きにして、市太たちもそれぞれ家に帰った。
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