天明3年7月、浅間山が大噴火を起こし、鎌原村は火砕流にのまれて、500人近くの村人が亡くなりました
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14.六月十三日
2007年11月11日(日) 12:05
14.六月十三日




 市太は珍しく、家の仕事を手伝っていた。祖父に江戸に行きたいと言うと、そうかとうなづいて、江戸にいる知り合いを紹介してやろうと言った。そして、お前は一体、何がやりたいんだと聞いて来た。

「おまえはわしによく似ている。兄貴の庄蔵は父親そっくりの真面目一方だ。まあ、問屋の跡継ぎには丁度いいのかもしれんが、わしから見ると、もの足らん。何かこう、こじんまりとしていてな。おまえにはそうなって欲しくはない。何をやってもかまわんが、ほんとに夢中になれるものを捜せ」

 ほんとに夢中になれるものは何なのだろうと考えながら、市太は仕事をしていた。別に問屋の仕事が嫌いなわけではない。だが、跡を継ぐのは兄だった。父親の弟、市太からみれば叔父もいるし、従弟(イトコ)もいる。自分の出番なんかなかった。要するに、この村にいても自分のやるべき事は何もない。だから、村から出る。村を出るなら江戸に行きたい。でも、江戸に行って何をする。祖父の知人のもとに行けば数日間は何とかなるだろう。しかし、その後はどうする。俺は何をやったらいいんだ‥‥‥わからなかった。

 今日は朝から小雨が降っているのに、大笹から松代(マツシロ)藩の武家荷物が次々に送られて来て大忙しだった。村の男衆(オトコシ)はほとんど馬方をして狩宿(カリヤド)へと出掛けて行った。昼頃、鉄蔵が帰って来たとおかよが知らせに来た。

「なに、兄貴が帰って来たのか」

「今、うちでお昼を食べてるわ」

「そうか。そういやア、俺も腹が減ったな」

 市太は側にいた叔父の弥左衛門に一声掛けて、おかよと一緒に向かいにある『巴屋』に向かった。

「大丈夫なの。忙しそうだったじゃない」とおかよは心配する。

「どうせ、俺なんか当てにしちゃアいねえよ」

「そう? 叔父さん、やな顔をしてたわよ」

「年中、ああいう面なんだ。気にすんな」

 大笹から来た馬方たちで店の中は混んでいた。おかよの兄嫁おべんと妹のおこうが手伝っている。鉄蔵は座敷の隅の方で茶漬けを食らっていた。市太が声を掛けると手を上げて笑った。

「兄貴、お帰り。いい絵は描けましたか」

「まあな。旦那は喜んでくれたよ。たっぷりとお礼をくれたんで路銀(ロギン)が助かった」

「そいつアよかった。兄貴がいねえもんだから、何か面白くなかったよ」

「よく言うぜ」

「ほんとさ」

「この前、おなつと大喧嘩しちゃったしね」とおかよが嬉しそうな顔して鉄蔵に教える。

「へえ、あんなに仲よかったのに、どうしてだい」と鉄蔵が不思議そうに聞く。

「それがね」とおかよが市太を見て、笑いながら、「この若旦那、他の女に手を出したのよ」

「なに言ってやがる。まだ、手も足も出しちゃアいねえ」と市太はおかよを睨むが、

「でも、そのうち出すんでしょ」とおかよは平気な顔して言う。

「へえ、あんな可愛い娘(コ)を振ってまで、手を出す娘(ムスメ)がいるのかねえ」

「それがね、まったく以外なのよ。村でも一番目立たない娘なの。お母さんが寝たきりだからしょうがないんだけどね、何となく暗い娘なのよ」

「ほう。一度、会ってみてえな」

「きっと、今晩、会えるわよ、ねっ」

「多分な」と市太はうなづく。

「今晩、何かあるのかい」

「お芝居のお稽古」

「ああ、そうか。今日は半(奇数)の日か」

「うちからちっとも出ない人が、どうした訳か、ここんとこ、お芝居を見に来るのよ」

「うまくやってるようじゃねえか」

「今んとこはな。先はわからん」と言いながらも、市太の顔は自然とニヤニヤ。

 市太も茶漬けで昼飯を済ませると、鉄蔵に聞いてみた。

「兄貴はどうして絵を描いてんです」

「どうしてだと? そんなの理由なんかねえや。描きてえから描いてんだ。描かずにいられねえからさ」

「描かずにいられねえから‥‥‥」

「そうさ。絵だけじゃねえ。俺は戯作(ゲサク)も書く。大(テエ)して売れねえが、自画自作の黄表紙(キビョウシ)を三つ売り出した。わ印(春本)も一冊出したよ」

「へえ、兄貴は戯作も書くですか。こいつアたまげた」

「何もたまげる事アねえ。俺より年下の北尾政演(マサノブ)なんか、自画自作の黄表紙が売れに売れて吉原でも大持てだよ」

「へえ、そんな奴がいるんですかい」

「ああ、紅葉山の東に住む京屋の伝蔵で山東京伝(サントウキョウデン)だとさ。ふん、奴には負けたかねえ」

「大丈夫ですよ。兄貴は負けやしません」

「おめえに言ってもらってもしょうがねえや」

「兄貴、俺ア何をやったらいいんだんべ」

「やりてえ事をやりゃアいいさ」

「そのやりてえ事がわからねえんだ」

「そういう時ア、旅に出りゃアいい。俺もな、自分の絵がわからなくなっちまったのよ。てめえの絵が売れねえもんだから、師匠の真似したり、重政(シゲマサ)の真似したり、清長(キヨナガ)の真似したり、結局、自分の絵がわからなくなっちまった。おめえたちと出会って、しばらく、江戸を離れようと思ったんだ。旅に出て、ようやく、自分の絵ってえもんを思い出したぜ。他人の真似なんかしたってダメなんだ。自分の描きてえように描きてえ絵を描きゃアいいのさ。その描きてえ絵を描くってえのが、一番難しいんだがな」

「自分が描きてえ絵を描くんですか」

「そうさ。それしかねえのよ」

「描きてえ絵を描くか‥‥‥」

「絵だけじゃねえよ。何だってそうだ。最初は誰でも他人の真似から始まる。だが、真似ばかりしてたって始まらねえ。自分のものってえもんを出さなくちゃアな」

「自分のものか‥‥‥」

 馬方たちが入れ替わり立ち代わり入って来るので二人は店を出た。まだ、小雨がシトシト降っている。

「兄貴、観音堂でも行きますか」

「例の小屋か。それより、おめえが惚れた女ってえのに会ってみてえな」

「えっ、おろくにですかい」

「おかよの話じゃ、年中、うちにいるってえじゃねえか。うちに行きゃア会えるんだろ」

「まあ、会えるには会えるんだが、親父がうるせえからな」

「親父もうちにいるのかい」

「こないだの浅間焼けで怪我して、まだ、仕事ができねえんだ」

「そういやア、そんな事を言ってたな。甚太夫(ジンダユウ)とかいう盲(メクラ)の義太夫語りのうちだな」

「ああ、そうなんだ」

「よし、行こう」と鉄蔵は南の方に足を向ける。

「兄貴、本気なんですか」と市太は後を追う。

「ああ、本気さ」

「まいったなア」

「何がまいるんだ。おめえだって会いてえんだろ」

「まあ、そりゃア会いてえけど‥‥‥」

「会いたけりゃ会えばいいんだ。何も遠慮する事アねえ」

「別に遠慮してるわけじゃねえけど」

「ちょっと待て」と鉄蔵は急に立ち止まった。「その娘だけど、そこんちに、ちょっと気のふれた野郎がいねえか」

「ええ、いますよ」

「ああ、あの娘か。会った事あるぜ。そうか、あの娘に惚れたのか‥‥‥よし、行こう。この前、絵に描こうとしたら断られたんだ」

「えっ、兄貴がおろくを」

「あれは絵になるぜ。是非とも描かなくちゃアならねえ」

 市太は鉄蔵に引っ張られるようにして、おろくの家に行った。うまい具合に、おろくは用水の水を汲んでいた。市太が近づいて来るのに気づくと、顔を上げて微かに笑った。

「やあ」と市太は声を掛ける。

「お出掛けですか」とおろくは聞いて来た。

 おろくの家は村の南の外れの方だった。真っすぐ行けば山の秣場(マグサバ)へ、左に曲がれば沓掛(クツカケ)道だった。市太が鉄蔵と一緒に追分宿に行くとでも思ったのだろう。

「いや、おめえの顔を見に来たのさ」と市太が照れ臭そうに言う。

「えっ、昼まっから酔ってるんですか」おろくは市太と鉄蔵の顔を見比べる。

「若旦那はおめえさんに酔っちまったらしい」と鉄蔵が口を挟む。早くも手帳を広げ、矢立てから筆を出していた。

「兄貴がおめえを絵に描きてえってんで連れて来たんだ」

「そんな、あたしなんか」

「すまねえな。ほんのちょっとの間だ。じっとしていてくんねえ」

 鉄蔵はスラスラと筆を動かした。市太は後ろから手帳を覗き込んだ。あっと言う間に、おろくの顔が写された。

「やっぱり、兄貴は大(テエ)したもんだ」

 鉄蔵はおろくに絵を見せた。

「これがあたしなの。信じられない。わざと綺麗に描いたんですね」

「そうじゃねえ。紛れもなく、こいつアおめえだよ」

 市太がそっくりだと言っても、おろくは信じない。

「そうだ」と市太は手を打った。「おめえにいい物(モン)をやる。先生のお師匠、源内先生が考え出したっていうビイドロ(ガラス)の鏡だ。『自惚(ウヌボレ)鏡』と言ってな、銅の鏡よりずっと綺麗に写るんだ。そいつを見りゃア、おめえも信じるだんべ」

「そんな‥‥‥」

「今晩、持って来るよ」

「そんな、いいんです」

「なに、遠慮するなよ」

「あの、あたし、もう行かなくちゃ」

「今晩、迎えに来るからな」

 おろくは恥ずかしそうに、うなづいて家の中に入って行った。

「いい娘だな。おめえに気があるようだ。だが、厄介(ヤッケエ)な女だな。寝たきりの母親に怪我した父親、盲の兄貴に気のふれた野郎までいたら、おめえと遊ぶ暇もねえ。わざわざ、難しい女に目を掛けるたア変わった野郎だな、おめえも」

「別に変わっちゃアいねえ。好きになった女がたまたま、そうだっただけだ」

「そうかねえ。まあ、いいや、おめえの事だ。好きにするがいい」

 鉄蔵は市太の顔を見ながらニヤニヤ笑う。

「兄貴、何がおかしいんでえ」

「何となく、俺に似てると思ってな」

「兄貴に似てる? 俺が」

「そうさ。簡単に手に入(ヘエ)る物にはすぐに飽きて、わざわざ難しい物に取り組む所がな」

「へえ、兄貴もそうなのかい」

「まあな。ちょっと臍(ヘソ)が曲がってるらしい」

 二人は顔を見合わせて笑うと道を引き返して、観音堂裏の若衆小屋へと向かった。
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