天明3年7月、浅間山が大噴火を起こし、鎌原村は火砕流にのまれて、500人近くの村人が亡くなりました
8.五月二十六日
2007年10月30日(火) 12:47
8.五月二十六日




 浅間山の地鳴りは一晩中やまなかった。村人たちは不安におののき、ろくに眠れなかった。それでも、翌日はいい天気で、浅間山を眺めながら無事を祈って田畑へと出掛けて行った。馬方たちも浅間山を眺めながら平気を装い、馬追唄を歌いながら出掛けて行った。

 市太は幸助(コウスケ)の家で目が覚めた。揺れは気になっていたが酒の酔いと旅の疲れでぐっすり眠った。鉄蔵も一緒だった。

 幸助の家は勘治の家の隣、その隣には諏訪明神の森がある。すでに両親ともになく、弟二人と妹が一人いるだけ。うるさい親がいないので、市太たちの溜まり場にもなっている。鉄蔵は勘治の家に世話になる予定だったが、肝心の勘治が草津に行ってしまっていない。絵が好きで、舞台の背景を担当している幸助は喜んで、鉄蔵を客として迎えた。その夜は、ささやかな歓迎の宴を開いた。惣八、安治、丑之助、おなつ、おなべもいたはずなのに、市太が起きた時は鉄蔵しかいなかった。

 市太は鉄蔵を連れて『桔梗屋』に行った。桔梗屋で腹拵えをして、おなつを誘って村の中を案内し、観音堂の石段を登っている時だった。耳が割れるかと思う程の大きな音が響き渡り、石段がグラッと揺れた。

「何事だ」と鉄蔵が身を伏せながら聞く。

「お山が焼けたんだ」と市太はしがみついているおなつを抱き締めながら答えた。

「ここは危ねえ。早く上に行こう」

 揺れる石段を這(ハ)うようにして上まで登り、浅間山を見ると、そこには信じられない光景があった。浅間山の頂上から真っ黒な煙が太い筒のように空高く伸びている。ゴーゴーと唸(ウナ)りを上げ、物凄い量の煙を吹き出している。

「すげえ‥‥‥」と鉄蔵は松の木にすがりながら呟(ツブヤ)いた。

 市太はあまりの驚きに口をポカンと開けたまま、浅間の煙を眺めている。おなつは膝を震わせ、市太にしがみついたまま、目を丸くして浅間山を見つめている。

「すげえ‥‥‥」鉄蔵は市太を見て、「こんなのがよくあるのか」と聞く。

「あるわけねえ。こんなの初めてだ」

「こいつアすげえぞ」と言うと鉄蔵は座り込み、懐(フトコロ)から手帳と矢立てを出して絵を描き始めた。

 青空はいつの間にか灰色になり、辺りは夕方のように薄暗くなった。やがて、白い灰が降り始めた。揺れがいくらか納まって来たので、市太はおなつを連れて若衆(ワケーシ)小屋に入った。鉄蔵は場所を変えながら、降って来る灰も気にせず、絵に熱中している。

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7.五月二十五日
2007年10月28日(日) 12:59
7.五月二十五日




 市太と勘治が吉原で、いい気になって遊んでいる時、郷里鎌原村では大騒ぎが起きていた。浅間山がまた噴火したのだった。

 二人が旅立って三日目の十五日の昼過ぎ、なりをひそめていた浅間山がゴロゴロと唸り出し、黒い煙を吹き上げ、鎌原村は大揺れした。畑に出ていた村人たちは立っている事もできず、地にひれ伏しながら不安そうに浅間山を見上げた。

 市太がいないので、家を出る事を許された惣八は安治と一緒に観音堂裏の若衆(ワケーシ)小屋で、いつものようにブラブラ。突然の揺れに驚いて、慌てて小屋から飛び出し浅間山を眺めた。

 おなつとおなべは『鶴屋』から『扇屋』に移った雪之助の部屋で、義太夫の稽古をしていた。三味線を抱え、二階の部屋から転がるように階段を降りて外に飛び出した。浅間焼けを初めて目にする雪之助は青ざめ、恐ろしさに身を震わせた。

 その日の揺れは四半時(シハントキ、三十分)程で治まり、灰が降って来る事もなかった。いつもの事だと皆、一安心して仕事に戻ったが、翌日は一時(イットキ、二時間)近くも揺れが続いた。雪之助はもう村を出て行くと言い出し、おなつたちはもう少しいてくれと必死で引き留めた。

 市太の祖父、市左衛門はやはり、山守(ヤマモリ)の隠居、長兵衛の言った事は正しかったのかと見直し、改めて、家代々残されている浅間焼けに関する文献を漁っていた。

 その時は二日だけで何とか静まり、一日様子を見て、次の日から田植えが始まった。田植えが始まれば、娘たちものんきに義太夫をやってはいられない。おなつやおなべも朝早くから田圃(タンボ)に出て働いた。男たちも馬方稼業が忙しかった。

 参勤交代で六月から信州須坂のお殿様の江戸詰めが始まるため、須坂藩の飯米(ハンマイ)が大笹から次々に送られて来た。男衆(オトコシ)は米を積んだ馬を引いて狩宿まで何往復もした。

 村中が大忙しのそんな頃、おゆうが斜(ハス)向かいに住む、おしまという娘と一緒に草津へと働きに出た。勘治は家柄など関係ないと言ったが、姉と同じように、おゆうは勘治の事を諦めて、家のために働きに出たのだった。浅間焼けを恐れた雪之助もおなつたちが止めるのも聞かず、一緒に草津に行ってしまった。

 須坂藩の荷物も運び終わり、田植えも一段落した次の日、二十五日の朝、浅間山が再び、ゴロゴロ言い出した。その日は朝から雨降りで、浅間山の灰が混じって黒い雨が降って来た。揺れはそれ程ひどくはないが、地鳴りはいつまでも続いた。村人たちは皆、仕事を休み、家に籠もってお山が静まるのを祈った。 昼近く、雨も小降りとなり、家で退屈していたおなつはおなべを誘って観音堂に登り、若衆小屋に顔を出した。例のごとく、惣八と安治がいた。芝居で惣八と一緒に駕籠(カゴ)かきを演じる丑之助(ウシノスケ)もいて、何やら、ヒソヒソと相談している。丑之助は山守の隠居、長兵衛の孫だった。

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6.五月十九日
2007年10月26日(金) 13:00
6.五月十九日




 芝居を見て感激した市太と勘治は提燈(チョウチン)をぶら下げ、人形町通りを北に向かっていた。

「やっぱり、本場の芝居(シベエ)は違うなア。何というか、花があらアな」興奮して勘治が言う。

「当たり前(メエ)だア。成田屋、三河屋、紀伊国屋(キノクニヤ)、路考(ロコウ)に杜若(トジャク)、千両役者が揃っていやがる。やっぱり、来てよかったなア」と市太も感動している。

 二人とも江戸っ子を真似て、さっぱりした身なりをしているが、どことなく田舎臭い。

「暗くなっちまうと道がよくわかんねえな」

「大丈夫(デエジョーブ)さ。任せときねえ」と市太は自信たっぷりに言うが、いつもの事だ、当てにはならない。

 二人はキョロキョロしながら、今朝通った時、覚えておいた目印を捜す。

「おい、大丸(デエマル)があそこにあるぜ。てえ事ア次の大通りを曲がるんだ」

「そうだっけ」

「そうさ。そこを曲がりゃア、馬喰町(バクロチョウ)に出る」

「馬喰町まで行きゃア、柳橋はすぐだな」

「そうさ。猪牙(チョキ)に乗って吉原(ヨシワラ)に繰り出そうぜ」

「いいねえ」

 道もよくわからないくせに、言う事だけは一丁前の江戸っ子だ。

 錦渓(キンケイ)と一緒に二人が江戸に着いてから、今日で三日目、二人にとって、毎日が驚きの連続だった。二人共、江戸に来たのは初めてではない。市太は十九の時、叔父に連れられ、初めて江戸に来て、本場の芝居を見て感動した。翌年にも、村人たちと一緒に江戸に芝居を見に来ている。勘治や惣八も、その時は同行した。勿論、芝居を見ただけでなく、名所見物もしている。それなのに、今回の旅は、まったく、驚きの連続だった。まるで、一生のうちに経験する驚きを短期間のうちに経験したようだった。

 江戸に着いたのは鎌原を出てから五日目。村を出てから江戸への道程(ミチノリ)は別に変わった事もない。初日が生憎(アイニク)の雨降りだったが、後はいい天気。途中、飯盛(モシモリ)女のいる宿場に泊まっても、女郎(ジョロウ)を買う事もなく、真っすぐ江戸へと向かった。

 中山道を本郷まで行き、左に曲がり、不忍(シノバズ)の池へと出た。明礬(ミョウバン)捜しを錦渓に頼んだ薬種問屋の小松屋は不忍の池の近くにあった。錦渓が小松屋と話し込んでいる間、市太と勘治は弁天様をお参りした。その夜は小松屋に泊まるのだろうと思っていると、錦渓は小松屋と一緒に吉原へ行くと言い出した。二人も今回は密かに吉原に行こうと決めていたので、目を輝かせて連れて行ってくれと頼んだ。錦渓は気楽に来いと言ってくれた。

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5.五月十二日
2007年10月24日(水) 12:12
5.五月十二日




 四月九日の浅間焼けから一月が過ぎた。

 浅間山はすっかり落ち着いて、いつものように三筋の煙を上げている。山守(ヤマモリ)の爺さんの心配は取り越し苦労に終わったようだ。

 五月に入ると、いよいよ芝居の稽古も本格的になり、立ち稽古が始まった。去年、『義経千本桜』の序幕と二幕目を演じ、今年は三幕目と四幕目。三幕目の『渡海屋(トカイヤ)の場』『大物浦(ダイモツウラ)の場』には、市太が演じる『いがみの権太』の出番はない。四幕目の『下市村(シモイチムラ)の場』になって、ようやく出番が来る。そして、来年やる予定の五幕目『鮨屋(スシヤ)の場』では『いがみの権太』は主役だった。

 勘治の役、下女のおとくは三幕目に登場し、惣八の駕籠(カゴ)かきは四幕目に登場する。二人とも市太の役に比べれば随分と楽な役。それでも、今年の演技次第で、来年はいい役が貰えるかもしれないと張り切っている。市太にしても今年、うまく演じなければ、来年も権太をやれるとは限らない。仕事を終えて、皆が集まって来る前から稽古に余念がなかった。

 今日は芝居の稽古も休み。市太と勘治、おなつ、おなべ、おゆうはおゆくの茶屋『桔梗屋』に集まって、夕方から酒を飲んでいる。惣八は一昨日、家の金を持ち出したのがばれて、家から出して貰えない。勿論、その金は市太らと追分宿で遊んでしまった。

 おなつたちが雪之助から義太夫(ギダユウ)を習い始めて早一月が経ち、三味線を持つ手も様になって来た。初めの頃はあの時、雪之助を聞いたおなつたち三人とおゆく、市太の妹のおさや、枡屋(マスヤ)の娘のおみやだけだったのが、今では村の娘たちがこぞって習っている。三味線のある者は畑仕事の合間にも弾き語り、ない者は口三味線でやっている。朝から晩まで三味線の音が鳴り響き、花街にいるような賑やかさ。しかも、皆、同じ義太夫を唸っている。どこに行っても、お染がどうした、久松がどうしたとやかましい。

 雪之助は娘たちに教えるだけでなく、毎晩、どこかに呼ばれて義太夫を披露している。夏の土用が来るまで草津もそれ程忙しくはないので、それまで、ここで稼ごうと腰を落ち着けてしまった。

「おい、勘治、雪之助に夜這(ヨベ)えをかけた野郎はいねえのか」

 突然、市太に聞かれ、勘治はむせて酒を吹き出した。

「もう、汚いわねえ」とおゆうが勘治が肩から下げている手拭(テヌグイ)をつかむと汚れた所を拭く。

「おい、そいつを使うな。大事(デエジ)な手拭なんだ」

 勘治はおゆうから手拭を引ったくる。

「なに言ってるのよ。自分が汚したくせに」

「まったく、もう」と勘治は手拭の汚れを気にしている。

「おい、おめえ、むせるとこをみると、てめえで夜這えをかけやがったな」市太が笑いながら聞く。

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4.四月十六日
2007年10月22日(月) 13:04
4.四月十六日




 四月も半ばになるというのに、いつまでも寒い。今朝はまた格別で、大霜(オオジモ)が降って農作物は全滅となってしまった。朝早くから村人たちは畑に出て大騒ぎ。他の村とは違って、馬方稼ぎがあるとはいえ、やはり、農作業が中心だった。村人たちは頭を抱え、村役人を中心に今後の対策を練っている。

 村中が大騒ぎしているというのに、そんな事、どこ吹く風かと例のごとく、暇を持て余しているのは市太、勘治、惣八の三人。観音堂裏の若衆(ワケーシ)小屋で芝居の稽古とは名ばかりでゴロゴロしている。おなつたちは雪之助の所に通って、朝から晩まで三味線を弾いて唸(ウナ)っている。お染久松(ソメヒサマツ)、おさん茂兵衛(モベエ)、梅川忠兵衛(チュウベエ)と心中物に、もう夢中。市太たちが遊びに誘っても見向きもしない。

「こいつアたまらねえや」

 寝そべって本を読んでいた惣八が腹を抱えてゲラゲラ笑う。

「そんなにも面白えのか」と勘治が本を覗く。

 一見しただけだとただの浄瑠璃(ジョウルリ)本、ところが内容は大声では読めない春本(シュンポン)だった。作者は平賀源内、弟子の錦渓(キンケイ)からの借り物で『長枕褥合戦(ナガマクラシトネガッセン)』という。

「面白えも何もねえ。こいつアすげえよ。人形芝居(シベエ)にすりゃア、もう大うけ間違えねえ」

「どれ、俺にも読ませろ」

「待て待て、もう少しだ」と惣八は一人笑いながら、本を持って逃げて行く。

「へっ、勝手にしろい」と勘治はつまらなそうに煙草(タバコ)をふかしている市太の側に行く。

「なあ、市太、やっぱり、博奕(バクチ)をやろうぜ。まったく、退屈でしょうがねえ」

「ダメだ。今まで何のために我慢して来たんだ。今さら、博奕なんかやれるか」

「チェッ、つまんねえ」

「おめえだって、いい役を貰ったじゃねえか」

「そりゃそうだけどよ、隣村辺りでやりゃア、わかりゃアしねえだんべ」

「そうはいかねえ。博奕を打つんは馬方連中だ。噂はすぐに広まっちまう」

「そうか。それじゃア大笹にでも行くべえ。今日は市日(イチビ)だぜ。久し振りに行ってみねえか」

「大笹か‥‥‥」と言ったきり、市太は乗って来ない。

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